敗者の群像(その17)

と言うのは、拓友皆で出来る降って湧いたような仕事が舞い込んできたのである。

仕事は、南新京駅の広場に引揚げ者専用の日影の待合所を造ると言うのである。もちろんこの仕事は大工の経験のある、私の決断が拓友から要求された。設計では長さ五十米(メートル)の巾五米(メートル)、屋根をアンペラという高黍の茎で造った敷物をふいたものを、三棟造ることになっている。「どうすりゃあよ。やってみるか。皆で頑張れば出来ん事はなからう。」私は丸太小屋を建てた経験は訓練中に度々しているから自信はあるが、他の者は全然知らないのである。そんなことで中には渋る者もいたが、俺に任しておけ、てな具合で大見栄を切って引き受ける事にした。

さて仕事は明日からである。大工道具とて有る筈がない。

そこら近所で何とか使えそうな金鎚やのこぎりを借り集めてきて、どうやらにわかづくりながら準備が出来たのである。

いよいよ仕事はじめの朝がきた。南新京駅まで歩いて三十分、全員十二名が皆大工のような顔をして、乗り込んだのである。

係りの人と場所や材料の打合せを済まして、作業に取り掛かることになった。

あの南新京の大駅の広場に掘ったて小屋の待合所を、道具もろくろく持たない素人大工が、しかも二、三日で引揚げがはじまるので、まるで突貫工事で仕上げねばならないという仕事を、ほいほいと気やすく請け負ったことを、我ながら内心後悔をせざるを得なかったのが正直なあの時の心境であった。

だが、そんな事を考えている暇はなかった。

仕事は始まった。柱の穴を掘る者、柱を建てるその上に桁を乗せていく者、みるみるうちに一棟の荒組が出来上がった。

これには驚いた。共同作業を徹底的に訓練を受けてきたことが、こんな時にはっきりと役に立ったのである。皆夢中になって働いている。夕方までに二棟の荒組みが出来上がった。後二日もあれば完全に仕上がりそうである。案ずるよりは生むが安しだ。仕事が順調にはかどることを皆でよろこびながら、帰路についた。

二日目はほとんど三棟共荒組みは出来上がった。後は屋根にアンペラをふけばよいのである。

まだ他にも請け負った仕事があった。それは湯沸し場である。

大きい窯を据えて湯を沸かし引揚げ者にサービスするところである。そこを造らなくてはならないので困っていた。

ところがうまい具合に、訓練所当時左官特技を受けたことのある尾崎がいた。一米(メートル)五十センチ四方のクドを煉瓦でつくる作業を引き受けてくれた。なかなか本職顔負けの仕事ぶりで、三日で立派に仕上げた。

三日目の夕方までに全部の工程が仕上がった。約束期日までに間に合って、係官に渡すことが出来たのである。

その当時の金で、一人当たり二千円くらいの賃金になっていたと思う。文無しで困っていたところへ、天からの恵みのお金である。

千円は日本へ持って帰れる金額である。皆が千円は持ち帰りにして、残りの千円でいろいろと引揚げ用品を買うことにした。

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