敗者の群像(その15)

ある日の理髪店の午後、拓友の西野がきて、ひまな私と後ろの椅子に座って、雑談にふけっていた。

主人は中国人のお偉ら方の、散髪をしている。片言の日本語で客も主人と調子を会わしてやっている。どんなことを話していたのかは知らないが、主人が満州と言う言葉を話しの端につかったのだ。すると彼の客が、「君、今は満州ではないよ、中国だよ。」その言葉のニュアンスがおかしかったので、西野と二人が顔を見合わして声を出さずに笑った。

それが悪かった、災いのもとになったのである。

散髪を済まして金を払い、店を出かけた中国人の彼が、「私はその向うの警察の者だが、君達二人ちょっと警察までついてついて来てくれないか。」まき割りでもさすつもりかなと、軽い気持ちでその人の後について出かけた。警察署は直ぐ近くにある。

警察の近くにくると、その男は急に態度が変わった。「おまえ達は何が可笑しかったのか。満州が恋しいか。そんなに中国が可笑しいか!!」今まで優しい顔をしていたのが、急に鬼のような顔にかわってどなり出した。

しまったあの時、満州ではない中国だよと言った時だ。彼は前の大きな鏡で私達が顔を見合わして笑ったのを見ていたのだ。

これはやられる・・・足がぶるぶる震え出した。

警察の広間に連れていかれて、「おまえ達二人を殺す。」彼の目は血ばしって興奮している。

小使いらしい老人にたたく棒を持ってこらした。つるはしの柄である。それからは二人を交互に、思い切りの連打である。

どれくらい殴られたであらうか。もう声も出ない。気がうすれていくのがわかる。

ふと、我にかえった。どれくらい時間が足っていたのだろうか。ようやく顔を上げて見ると、暗くなっている広間に西野もうつぷせになって倒れている。身体中が痛くて動くことが出来ない。

西野のところへなんとかすりより、ゆり起こしてみた。

うーん、唸りながら気がついたようである。「おい、生きてるか。」「痛いぞ。」彼の耳もとに小さい声で「ここを早く出ろう。ここにおったら殺されるぞ。」二人は必死になって、はいながら裏戸を開けて外へ出ることが出来た。  出ることは出たが歩けない。暗闇の裏庭に二人はうずくまったまま動くことが出来なかった。

どうやら殺されずに済んだようだ。何でもないような二人の会話が、ときとして勝者のプライドを傷付けたのが原因になってトバッチリを受けるはめになったのである。それにしても、いくら勝者でも彼の行為は許せない。なんとかして報復出来ないものだろうかと・・・二日の間寝たままで、体の痛みをこらえながら、こんな途方もないことを本気になって考えてみたのである。

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