敗者の群像(その14)

川村たちのいる日本街は西の方向に向いて歩けばよい。大体の方角は見当はつく。足早に西へ向かって歩き続けた。

ちょうど長春の駅の近くと思うが、人通りの多いいろいろな出店の並んでいる、賑やかな市場へでた。その通りは日本人と中国人とが、半分半分くらいに店を出している商店通りだ。その通りをいっばいの人波が流れている。その中に潜り込んで、人の動きに身をまかして歩いた。日本人も中国人もまたロシヤ人も歩いている。

今逃げてきたことなどすっかり忘れて、店の品物をみながら歩いているとき、私の前にひょいと男がたちはだかったのである。見るとその男は防寒帽をふかぶかにかぶり、日本人用の外とうを着ている。じいっと私をみすえているではないか・・・まずい、逃げるのだ・・・とっさに身をかわそうとした瞬間、「おい、山戸じゃないか。」なに!!まさかこの中国街で私を知っているものは誰か。振り向いて男の顔を見直した。「あ!!お前は伊与田じゃないか。」しっかりと手を握りあって偶然の再会に、言葉もなくただ呆然と見つめあっていた。

伊与田敏男は山奈小学校時代の同級生である。私と同じ頃満鉄に志願して来ていたと言うことである。この広い大陸でしかも大勢の人込みの中で、偶然とはいえ奇跡的な再会に驚いたことだった。

積もる話しもある。ちょうど日本人の飯屋があったのでそこへ入ったのはよかったが、二人共金を持ってないのだ。私のポケットに小銭が少しある。白い米のご飯を一杯だけ買えたので、それを半分づつに分けあって食べた。友達にあった嬉しさと忘れるほど長い間米のご飯を食べていないのとで、なんと美味しかったことか、あの味は一生忘れないだろう。

いろいろ話したいがもう夕暮れが迫って時間がない。「日本に先に引揚げたものが、元気でいたということだけを、家の者に知らしてくれ」 と約束をして、名残惜しかったが彼と別れたのである。

それから一時間くらい歩いてようやく友達のいる宿舎にたどり着くことが出来た。乾の家に住込みで行ってからもう四ヵ月あまりたっている.その間に友たちもいろいろと生きていくのに工夫をこらして、皆で助け合いながらその日をなんとか過ごしている。私も遊んでいては皆に申し訳が立たない。なんとか仕事を捜さねばと街に出てみた。

日本人が住んでいる大きな寮のなかに一軒の理髪店がある。その店が手伝いを一名募集をしていると言うのを聞き付けて、早速伺って雇ってもらうことにした。

理髪店の主人は田村さんと云う。鹿児島県出身で奥さんと小さい子供が二人居る。

今度雇ってもらったのは日本人だ。話しも解るし主人の田村さんは人のよかりそうな人物に見えた。

私の仕事はそこの家の雑役をして、その間に散髪の手伝い。バリカンで主に子供達の頭を刈るのが役目である。

義勇隊当時は友達の頭をよく散髪してやったもんだ。その器用さがいまここで役に立つ。主人もなかなか上手だとほめてくれた。

そのうちに拓友たちも、ちょいちょいひやかしにやってくる。

主人もニコニコしながら、話相手になったりしている。時々主人の留守の時などは、三人のところ二人分の代を払って、後の一人分は「負けとけよ。」・・・だからまことにしまつがわるい。

ある日ハルビンから避難してきたと云う二人の拓友が、私のところにやってきた。「いつ長春に着いた!!」「昨日着いた。皆をさがすのに随分と苦労した。」ところで二人の姿たるや、まるで仙人のように髪はのびているし、服装もみるからに哀れな恰好をしている。ハルビンでは随分と苦労をしたらしい。その姿が充分に物語っている。

奥さんが拓友の一人、信男の散髪を始めたが、慌てて私のところに来て、「貴方の友達と云ったわね。刈ってやって。」なんだか変な顔をしてバリカンを私にさしだした。信が汚いからか・・・と思いむっとしたが、黙ってバリカンを受け取り、十センチほどに伸びている信の髪を刈りはじめて驚いた。頭に隙間がないほどシラミがたかっているではないか。「信、おんしの頭はシラミだらけじゃ。これほど飼うてたまるか。よう辛抱したねや。」「それほどたまげるほどおるかあよ。」本人は平気な顔をしている。大急ぎで、あっという間にまる坊主に刈り上げてしまった。「これで楽になるぞ。」自分の頭の髪を刈っているような気がした。シラミにも少々驚かされたが、信たちの生死をかけた逃避行の様子が充分に伺うことが出来る。彼から話を聞かなくても想像がつくような気がして胸があつくなった。「大変なことだったんだね。もう大丈夫だ、少しは楽になる。」顎髭をそってやりながら、つむっている彼の目から、一筋すーっと、泡の中に流れて消えるものをみた。

彼らの話によると、ハルビンの収容所はそれは惨たんたるものだったらしい。寒さと飢えで毎日のように死人が出る。今度は自分の番になるような気がしてたえずおののきながらも、生きて日本に帰りたい、そればかり思い続けていたと言う。

ようやく長い髭をそり終わって、洗面台で彼の頭をごしごし洗ってやった。これだけ短く刈られては、シラミも何時までも居据わるわけにもいくまい。お互い本当にさっばりした。

嬉しい再会が、シラミ退治の一幕で終わったのである。

戻る 次へ メニューへ トップへ