敗者の群像(その8)

鉄嶺(テツレイ)駅から南への避難民列車にようやく乗ることが出来た。汽車は荷物や石炭などを積む無蓋車で屋根なしである。義勇隊員も一般の日本人も混成の詰め込み乗車である。所謂すしづめでギュウギュウの、空いたとこなしの状態である。

大陸も十月ともなればもう寒い。容赦なく舞い込むつめたい風、おたがい首をすくめてじっと寒さにたえている。汽車はそんなことはおかましなしに、くろ煙りをはきながら南に向けて走り続ける。どれくらい走っただろうか、汽車はある駅に止まった。あたりはもう夕闇に包まれている。うすぼんやりと駅灯がついているだけの、人影のない小さな駅のようである。何のためにこんな駅に止まったのか、不思議に思いながら首をのばしてホームの方を覗いてみた。何と五、六人の自動小銃を持ったロシヤ兵が一つ前の車両に近づき、義勇隊員を一人、二人と汽車から次々にひきずり降ろし出した。これは大変だ、何かある。「おい、隠れるぞ。」同僚たちに合図をし、反対側の線路に飛び降りた。そして止まっている汽車の下に素早くはいこんだ。四、五人が入ってきた。「ダバイ・・・ダバイ。」ロシヤ語で叫びながら、ロシヤ兵が近づいてくる。長靴をはいた兵隊の足が、自分たちの前で止まった。生唾をのみ、ジイーッとして運を天に祈った。自分たちの車両からもつぎつぎに、若者は降ろされて連れて行かれている。

一時間くらいたった頃、汽車が突然うごきだした。私達は汽車が動き出したら飛び乗る準備はできていたので、素早く動き出した無蓋車にとびうつった。乗ってみると車両のなかは、すきすきになっている。汽車は暗闇の中をスピードを出してはしりだした。「やれやれ、なんとか助かったねや。」お互い顔を見合わし、胸を撫でおろして無事をよろこんだ。

やがて汽車はハルビン駅に着いた。ここには訓練所時代に二回出張で来たことのある街である。見覚えのある駅だが、あの当時の賑やかさは今はない・・・そんなことを考えながら、無蓋車のなかから駅の様子をみていると、ホームに毛布に包んだものが幾つも置いてある。何だろう・・・よくみると、なんと子供の死骸だ。先に引き揚げていった避難民が、途中で亡くなった子供を仕方なくこのホームに残していったのだろう。せめて土の中に葬ってやりたかっただろうに、泣く泣くここに置いて去っていっただろう親の姿が見えるようである。

日本人の責任者らしい人が、それぞれの車両をまわってきて、「ここで降りたい人は、降りて日本人会までいって下さい。避難収容所が有るそうです。この汽車はどこまでいくか、どこで止まるかわからないそうです。」なんと無責任な汽車であることか。「どうする。」仲間同志で話し合った。「ハルビンで降りても、いつ日本に帰れるかわからん。それならどこで降ろされても仕方がない。少しでも南へ行こうや。」これから先どのようになろうと、みんなの腹は決った。

駅のホームに夕闇が迫り出した頃、ようやく汽車は動き出した。煤煙の臭いが吹き込んでくる風に混じって臭ってくる。寒い風、薄着には寒さが身に沁みる。おたがい身を寄せあってじっと我慢をする。腰にくくり着けている大豆をとりだして、ポリポリかむ。この携帯食料のおかげで、なんとか飢えずに今日までこれたのである。

汽車は時々小さな駅に止まっては一時間くらいして動き出す、又止まる、と行った具合で、どこまで行くのか当てのない鈍行列車になっている。だが間違いなく南に向いて走っていることは確かだ。

どの付近か全然見当も着かない小さな駅に汽車は止まった。

もうすっかり夜が明けている。汽車が止まると同時に、あっというまにロシヤ兵が私達の無蓋車に飛び乗ってきた。自動小銃を肩にかけている。今度は突然なので逃げる間もない。小さく身をすくめて観念していた。ところがロシヤ兵は、我々には目もくれずに、女たちの所へヅカヅカと近づいていったのである。なにやらロシヤ語を喋りながら、一人の女の肩をたたいている。手まねでこっちへこいといっているようだ。その三十歳くらいの女の人は、「いや・・・ゆるして・・・。」顔の前で手を横に必死になってふっているが、兵隊はいっこうに聞き入れようとしない。「ダバイ、ダバイ。」と吠えながら要求がだんだんとエスカレートしだした。「許して下さい、私はおなかが大きいのです」必死に哀願をしているのだが、彼には日本語は通じない。女を強姦しようとしているのだ。まるで獣だ。狼が羊に襲いかかっている、そのものだ。許せない。だが我々にはどうしようもないのだ。すこしでも抵抗しようものなら、彼の肩に掛けている自動小銃が間違いなく火をふくのだ・・・どうか許してやってくれ・・・心のなかで祈るしか我々にはできない。

ロシヤ兵は、とうとう行動にうつった。布団ほどもある外とうを、スッポリ被って女の人に襲いかかった。「ぎゃあ・・・。」悲鳴がした。耳を塞ぎ、目を閉じて時の過ぎるのを待った。

敗戦国民の悲惨な姿。敵の国で戦いに負けた民族ほど哀れなものほない。握りしめていた手のひらに汗がにじんでいる。異様な悲しさと、耐え難い侮辱と憎さで身も心も震えた。人ごとではない。どう猛な獣は、目的を達するとゆうゆうと笑顔のこして、立ち去って行った。狼牙の犠牲になった女が気の毒でならなかった。

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