敗者の群像(その5)

しかし他の者達はどうなっているのだろう!匪賊に西へ連れていかれたのだろうか!!私達が隠れている畑の前のみちを、馬の走る音が聞こえる。匪賊が日本人がいないか、捜しているのだ。「暗くなるまでここに隠れていよう。暗くなったらここを出て前の道を東へ二十キロくらいいけば鉄嶺(テツレイ)へ出れる。」四十才くらいの小柄な開拓団の男が、小声で皆に告げた。頼りがいのありそうな感じのする人である。「私達はこのあたりの地図は全然知りません。宜しく頼みます。」「わかりました、道案内をしましょう。」小声で話し合っている時、そばにいた若い女の背中の子供が急に泣き出した。あわてて母親は、背中を揺すって子供をあやしている。「泣かすな!!」誰かが悲壮なこえで叱った。「すみません。」謝りながら背から子供をおろし乳をふくませた。大きい声を出せば匪賊に見つかってしまう。皆必死なのだ。だが無理もない。早朝から逃げるのが精一杯で、乳をふくます時間などなかったはず。ぐつぐつ・・・乳をのみこむ、幼児のかすかな喉の音だけが静かな黍畑にする。

そんな時、前の黍の穂が、がさがさとゆれた。本能的に身構えた瞬間、「いよう、おまんらここに居ったかよ」自分たちの隊長の斎藤のおやじさんだ。後から二人ついてきた。「えらいこっちゃったねや・・・じゃが匪賊はもうおらん、引き揚げたようじゃ。」そのせいか声が大きい。ほっと安堵の胸をなでおろした。「ところで、おまんらこれからどうすりゃよ。」「暗くなったら東へにげる。遠いが鉄嶺(テツレイ)にでれるらしい。」案内をしてくれるという人を親父さんに告げた。「それが良かろう。私達も仲間にいれて連れていって下さらんか。」「いっしょに行きましょう、道は私が良く知っております。道は悪いが、ぼつぼつ歩いても明日の朝頃までには鉄嶺(テツレイ)に着くでしょう。」大陸の九月の太陽が真っ赤に燃えて沈みかけている。

暗くなるまでにまだ少し時間がある。まだ熟していないトウモロコシをちぎり皮を剥いでみると、白い粒が出来ている。汁を吸うてみた。味はないが、空きばらにしみこむ。生で食えるものではないが背に腹は変えられん。皆が手あたりしだいに、トウモロコシの汁を吸い出した。これから何キロの行軍になるか分からないのである。顔をしかめての腹ごしらえである。

太陽の沈むのは早い。さあ出発、辺りが薄暗くなり出した。

黍畑をでて道に下りた。道がいやに白く光って見える。一行は東へ向けて歩き出した。匪賊はいつ追い掛けてくるかわからない・・・急ごう・・・皆が足早に歩き出した。母親のせなかで顔を横に向けてすやすやと寝ている子供の顔が、むしょうに愛らしくふびんであった。

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