私たちのプロジェクト、「カレゴロ緑の推進協力プロジェクト」は、ニアメ市の上流約40キロに位置する村を基点にして、上流側下流側とも20キロずつ、都合40キロの範囲に散在する22の村落を対象としていた。河の流れに接する村、少し離れた位置の村、多少の違いはあるけれども、基本的にはニジェール河の右岸地域が活動の舞台となった。
セネガルで私は、すでにそれまでに、同様のプロジェクトを経験していた。青年海外協力隊のメンバーたちとチームを組んで、村落住民を対象に、植林や果樹、野菜栽培などの技術の普及を図っていく。様々な基礎的技術の普及による村落開発の活動を通じて、生活改善を行うとともに、進行する砂漠化を阻止するという点では、双方共にきわめて住民志向の強いプロジェクトであった。
さてニジェールでの活動。村回りを行って、私たちのプロジェクトの説明をし、それぞれの分野ごとに活動への参加者を募っていく。しかし、どうも勝手が違う。セネガルの村々と、見かけはまったく同じでしかない村人たちが、反応が根本的に違っているのだ。
セネガルでは植林の活動を行うにしても、野菜栽培の技術指導をするにしても、常に共同体が中心で、村長や婦人会長、あるいは青年団長をリーダーとするチームによる活動が主であった。たとえば植林の活動では、共同体所有の村有林つくりが中心となって、個人単位で苗木を植えることはほとんどない。いついつ植えると村単位で決定すれば、全員参加で作業する。その意味では、非常に効率よく活動することができた。
ところがニジェールのサイトでは、話がまったく逆なのである。個人でなら植えてもよいが、集団でなどマッピラだ。常に個人が先に立って、集団での活動を嫌悪する。したがって、植樹の面でも何の面でも効率の悪いことこのうえない。てんでんばらばら、断片的では数量的にもまとまらず、効果的な砂漠化対策の活動など到底望むべくもない。私は頭を抱え込んだ。どうしてこうも違うのか。一体どうすればいいのか。
結論から言えば、私は、セネガルで採用した集団活動方式のかわりに、個人の一本釣り方式の採用を決定した。希望者の数の割に成果としての数量は上がらない。しかし、それでも仕方がない。日本が、東京が、協力隊の事務局が何と言って責めようと、この地域にはこの方式で行く以外にはないんだ、、、と。個人単位ということは、他の個人とまったくの無関係かというとそうではない。実は内心、虎視眈々、相手の上を出し抜こうと横目で睨みあっている。少なくとも、隣には負けまいと張り合っているはずだ。そんな中で、一人でも成功者をプロジェクトから作れるなら、なだれを打って右へならえをし始める。その可能性があるはずだ、、、と。
セネガルでは何であれ集団でするために、確かに効率はよかった。けれども、反面、そこには常に、何とも言えないもどかしさが付きまとった。新しい試みを、試験的に一人ででもやってみようとする、いわばみんなに先駆けてチャレンジするという気風、それが欠けていたのである。横一線のお仲間同士に、脱藩志士の気迫など望んでも無理だった。
セネガルの農村地帯、ニジェール河の流域地帯、それぞれに気質が違って当然なのだ。われわれの目には同じ黒人の農民でも、言葉も違えば人種も違う。同じはずがないではないか、、、そんな風にうなづきながらも、この違いは普通と違う、絶対に何かがある、もっと根本的な原因が必ずある、、、と、そう思った。それは一体何なのだろうか、、、と。
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