ニジェール河A

そこに水が流れている。ゆったりと流れている。それを眺めて納得する、そんな人間だけでもない。そんな時間だけでもない。当然のことながら、夢を追う、それも細い糸の先に、、、そういう人間だっている。そういう燃える時間もある。今回は、釣りです。

モロッコ、セネガルと釣り狂った、土日の二日に三回釣りに出かけるくらい釣りに狂った私である。しかもセネガル時代には、最初の3年いつも並んで竿をたれた、お神酒徳利、相棒のSさんが、何とまあここニジェールのJICA(現:国際協力機構)事務所の所長である。ニジェールでも、、、と、その気にならないわけがない。 

 しかし、正直に言うならば、ニジェール河での釣りについては、私などまったく話にならなかった。まず、釣り方が分からない。釣るポイントがつかめない。乾期、雨期、適期がいつかも定かでない。先達(せんだつ)はあらまほしきものなり、、、と、協力隊の薀蓄隊員やら釣りが何よりの趣味という現地人のKさんやら、師匠と仰いで何回かお供をさせていただいたが、結局、ものにはならなかった。

ことお目当ての目の下三尺とは裏腹、10センチかそこそこのハヤみたいな魚とか、用水路でのナマズとか、以前セネガル河の河口でも餌なしでさえ食いついた、肌色でナマズを小型スマートにし、十倍早くちょこちょこ動き、胸びれの内側がギザギザのノコギリみたいになっている、要するに名前も何も分からない小魚とかなら、乾期の水の少ない時期にミミズの餌で少なからず釣れはした。人より以上に私も釣った。

しかし、私たちの思う魚、鱗が銀色、背びれ、胸びれ、腹びれ、尾びれ、ちゃんとそろった魚、、、となると、フナ、コイの仲間さえも、ただの一度もかからなかった。協力隊の女子隊員が、たった一回、40センチ、赤ちゃんサイズのキャプテン(スズキの仲間)を釣った話が最高だった。それが最高記録だった。実際、誰も釣れないのだ。

子どもたちは何でもよい、たとえドブそっくりの水田の用水路で釣るナマズでも、釣れさえすれば喜んだ。だから何度も連れて行った。隊員たち数名と一家そろって出かけた時に、師匠の権威がほとんどトンボの首だった現地人のKさんが、一匹、フグを釣りあげた。ふくれてもピンポン玉くらいにしかならない、よくも針にかかったものだと驚くほどの代物でも、正真正銘、フグだった。フグは海、、、しかし、フグは「河豚」と書く。アマゾンやら揚子江、この河だってその類だ。釣れて不思議のない話だ。現地の呼び名は「タリボンボン」。ふくれても針はまったくなかったが、「ハリセンボン」と同じ響きには笑った。

結局、ニジェール河での釣りは初歩の初歩でつまずいて、そのまま離陸できないままになってしまった。折にふれて何回か糸をたれることはあっても、心はずむことはなかった。

帰国がまぢかに迫ったある日、ベトナム料理店で会食があった。時間より早く着いて仲間の到着を待って庭をながめていた時に、薄暮の中を、大きな大きな、金太郎が背中に乗ればちょうどになりそうな、だっぷり堂々、横綱級のキャプテンを頭に載せて、兄さんが入ってきた。ドデーンと庭に転がした。ベトナム人の女主人が、冷蔵庫にどうやって入れるんだ、こんな大きなものを、、、と言う文句を、へっ、何言ってやんでえ、、、と意にも介さず、その兄さんが二枚におろすところまで見た。それはみごとなものだった。

やはり、あれだけの大河です。居るんですよ大物も、それを釣り上げるプロも、、、。

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