ニジェール河C

セネガルでは、一体どれだけの回数、村人たちの会合に参加したやら数え切れない。プロジェクトの紹介から始まって、住民参加の形について、同行の森林官を通じて村長に説明する。そうすると、必ず、何日の何時から村の役員会を開くので、その時にもう一度来てほしいと返事がある。そうしてその日に村まで行く。

それはみごとなものであった。村長には威厳がある。民主的な話し合いの中にも、やはり村の長としての統率力がある。大阪市立自然史博物館長のO先生が、セネガルを来訪した際にこう言われた。「田舎の村長だからと言ってなめてかかってはいけませんよ。彼らは下手な外交官や政治家なんか足元にも及ばない、すご腕のプロですよ。村の存続存否をかけて日々生きている彼らの、知恵の深さは並ではない。本当にすごい人たちです。」まさしくその通りであった。

ニジェールでも、若い隊員たちの動きを容易にするために、私は例の釣りの師匠の森林官のKさんと各村々を訪問して、いわば仁義を切って回った。村長は、やはりここでも、「外交」の主役であることに変わりはない。しかし、セネガルのあの村々とは違い、何となく覇気がない、迫力がない、権威がない。前回に述べた集団行動に対する反応の極端な違いほどではないにしても、私にはやはり何かの違いが臭う。絶対違うと、そう思う。

何故、二つの地域は違うのか。何故、こうも極端に異なっているのか、その原因に気がついたのは、ニジェールでの活動が三年目に入ってからのことである。その理由は、実は目の前にあったのだ。毎日毎日、横目でにらむニジェール河、その河の水そのものにあったのだ。少なくとも私自身はそう思う。

西アフリカの大部分、ほとんどの地域に、恒常的な河は、ない。目の前に一年中、浅い深いは別にして、常に流れる水は、ない。セネガルでの村々には、勿論のこと、なかった。そこには乏しい水を分け合う深い深い井戸しかなかった。人はみんな井戸の子だった。しかし、ニジェール河の岸辺は違う。彼らは同じ西アフリカの乾燥地域の農民でも、根本的に河の子なのだ。目の前に流れる水を見る子、そして使う子なのだ。

1947年(昭和22年)生まれの私は、小学校時代、井戸水を汲んで風呂桶にためる、それが学校から帰っての日課だった。幸か不幸か私の家は部落の中心から外れて、井戸水をほぼ独占できる位置にあった。だから毎日汲まされた。部落の中心部、人口密度の高い場所にあった井戸は、しばらく汲むとすぐに濁った。もう一方、山の横腹に切りこんでにじみ水を貯める井戸は、貯まった分を汲んでしまえば終わりだった。

水は命、井戸は命だ。誰かが勝手に井戸のつるべを独占すれば、他の皆はどうなるのだ。牛、羊、人間、何にしても水がいる。誰が使う、お前が使う、俺もあいつも泣けというのか。村長に聞くぞ。命のかかった裁きを聞くぞ。平等公平なお裁きをつけようぜ。

水は体力、腕次第さ。バケツをさげて河から汲む腕力と意欲、他に一体何がある。村長か? もめごとなら任せる、だけど俺のバケツの数には口出しするな。隣の寝ぼけと一緒にするな。俺は俺で運べるだけはこぶ。怠け者のあいつらと共同でなどやれるか。

水がどんな形でどれだけ入手できるのか。それによって、農村組織の形態、権威、個人個人のメンタリティーまで決まる。

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