砂漠と聞くと私たちはついつい砂丘を連想する。砂漠と称される地形の中には、砂による砂漠以外にも、土、礫、岩石、さまざまな種類があるのだが、やはり「砂」漠という文字からも、私たちはとかく、砂丘を越えて、、、と、こう考える。
モロッコでもセネガルでも、そしてニジェールでも、私はいくつもの砂丘を見た。正真正銘、同質同サイズの砂の粒子が吹き寄せられてできる砂丘は、なんと言っても美しい。朝夕の低い日の光の中で描き出される稜線の輝きと陰影のハーモニー、それはまさしく妖艶、エロチックとしか言いようのない、たおやかさ、なまめかしさだった。わー、色っぽい、、、と、まあ、お里が知れるでありんすが、、、何度、つぶやいたことか。
その砂丘、乾燥と死の世界である砂漠の象徴ともいうべきその砂丘が、サヘル地域においては、意外なことに一種のダムの役割を果たしていようなどとは、実は、現地で砂漠化対策の活動をするようになるまで、まったく思いもしなかったことである。
事実、セネガルの海岸近くに広がった古砂丘の外側、海岸線との間には真水の沸き出るベルト地帯が存在し、ニアイと呼ばれる野菜の一大産地となっている。本来なら、井戸を掘っても塩水しか出そうにない海岸のすぐ内側に、このような真水の層が存在するのはきわめて不思議な感じがする。しかし、それがこの砂のダム、延々と連なる古い砂丘のおかげなのだ。
ニジェールでもいたるところで同じような光景を目撃することができた。私たちのプロジェクトサイト、ニジェール河の右岸にも河の流れとほぼ平行に、高さ50メートルほどで、広いところでは1キロ近い幅の砂丘の帯が存在する。河に近いところほど水も多く得やすいように思うのだが、こと地下水に関する限り、砂丘に近いところほど水位が高く豊富だった。それは、砂丘のすぐそばから発して川辺へと向かって植えられた、ユーカリなどの樹木の生長の様子からも明らかだった。砂丘に近いところほど早く大きくなるのである。
以前はチャド湖の船着場だった、、、という場所が今はからからに干上がって、湖の水は200キロほど先に行かないと見えないと言われた。ニジェール東部のンギングィミでのことである。ここの地域は真っ白い砂の、まだ動きのおさまっていない新しい砂丘だったが、やはり同じことだった。砂丘のそばには水が出る。だからそこに井戸が掘れる。小さな畑を作れるし、家畜の水飲み場にできる。
土漠に降った雨は地表を伝って流れてしまう。せいぜい表面の土をえぐって、土壌の侵食をひき起こすだけで、地中に浸透する量といったらわずかでしかない。岩だらけの土地に降る雨も同じである。
しかし、砂丘は全然違う。降った雨は確実に全部が砂の中にしみこむ。仮に砂丘の能力を超えるほどの雨が降っても、表面を流れ下ることは少ない。砂山の裾か中腹か、横っ腹がごそっと抜ける。雨期の間にたっぷりと水を腹に貯めた砂丘は、自分自身のお腹の重みでじわじわと水を吐き出す。表面はどんなに焼けて乾いていても、お腹の芯には水がある。
砂漠化対策を考えるとき、問題にされるのは砂丘の表面に見える部分がほとんどである。移動する砂によって菜園やら道路やらが埋もれてしまう、それを一体どうしたものかと、、、。けれども砂丘はダムの一種、命の根源でもありうるのだ。
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