独立広場界隈

セネガルの首都ダカールの独立広場は、縦が約三百メートル、横百メートルほどの長方形の広場である。この広場は、銀行や航空会社、ホテル、映画館、商工会議所、外務省、警察署などといった建物に取りまかれて、ダカールを代表する場所の一つとなっている。

正確に南北の方向に設置された広場の中央部から、東西に、大きな目抜き通りが走る。とくにその東側五百メートル、ダカールでも一番ハイカラな感じのするポンピドー通りは、終日、夜遅くまで人通りが絶えない。にぎやかなこの広場、その通り、要するに独立広場界隈は、実は、観光とは別にも、知る人ぞ知る名所なのだ。え? 何の? 何のって貴方、泥棒、スリ、詐欺師、、、ありとあらゆる「こそ泥」で有名な場所なのです。

着任して間もない頃、銀行から出てきて広場の角まで歩いてきたら、突然、目の前に男が一人かがみこんだ。そうして、私のズボンの裾を持って左右に振り始めたのである。一体何が起こったのかと思う間もなく、左右から私の抱えたカバンとポケットに向けて手が出てきた。何をするんだと大声を上げたら、3人が舌打ちをして逃げた。

一度などは、突然、ムッシュー・ヤマダ、山田さんではないですか、、、と、声がかかった。見たこともない相手である。ほら、私ですよ、どこそこで一緒だった。人の顔と名前を覚える能力の完全な欠如を自負する自分である。アフリカの初めて会った人の顔など、別れて三歩で忘れてしまう。もしこの時、相手の言った「どこそこ」が身に覚えのある場所なら、ころっとひっかかったと思う。自分は忘れてしまっていても、そんなことがあったかも知れない、、、と。そうなると、仕事がら、失礼な対応をするわけには行かなくなる。 

実はこれが寸借サギ。出張でどこそこから出てきたが、車の燃料が切れて困っている。今度会った時に必ず返すから、少しお金を、、、。親切で顔の広い日本人ほどこの手にかかる。私は相手の話を一応聞いた上で、丁重にご辞退申し上げてことなきを得た。

ウエストポーチが流行った頃、日本から出張で来た人が、ポンピドー通りを、ビデオカメラで撮り撮り歩いた。撮り終わってレンズから目を離したら、どうぞ狙って下さいと「申請」していたその通り、ウエストポーチの金目のものはみんな抜かれてしまっていた。

被害者は外国人ばかりではない。私の同僚の森林官は、広場にある銀行から今月分の生活費だと預金をおろして、ものの2分とたたない間にソックリやられた。彼も彼だ、胸のポケットにそのまま入れていたらしい。親しげに寄ってきた男がいて、挨拶をした時に、抜く手も見せずにやられたのだ。これだからわが国はいつまでたってもよくならないんだ、、、と憤慨し、しきりにぼやく彼の言葉を聞かされながら、私には慰めの弁もなかった。

とにかく、ダカールの独立広場界隈は、あの手この手の「こそ泥」さんの見本市。知っててからかうつもりなら、結構、楽しいところである。

ある時、協力隊員が、私のケースと同じ手口で迫られた。前にかがみこんだ男に、両膝を押さえられたのだ。当然、両サイドから手が出てくる。彼は、この野郎と叫ぶと同時に、腕、、、いやこの場合は足か、、、に覚えのヒザ蹴り一閃、相手のあごを突き上げた。ボカーンと伸びた男を残して、仲間はクモと散ったらしい。

この時以来、協力隊の間では、今度は俺が、、、が、しばらく流行った。

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