あるおっさん@

前々回に登場した憲兵、Mのことである。

ニジェールでの最後の年、1996年、クーデター発生後の5月から翌年の4月まで、私は家族を先に帰国させて、首都ニアメのはずれにあるバンガロー式のホテルを根城に、1年間単身で過ごした。Mとどうして知り合ったか、そのきっかけはおぼえていない。ホテルへ何かの用事で来た際に、私の姿を見たらしかった。アプローチは彼の方からあった。

最初の出会いの時からして何ともうさん臭い感じで、自分としてはむしろ避けて通りたい、そんな感じの相手だった。第一、その目つき顔つき、その態度、現役の憲兵というだけのことはあって、普通ではなかったのだ。三十代には見えない、四十代にはなっていよう。着古し、くたびれた軍服にも、年期の長さを物語る何ともいえない陰影が感じられて、一種の狂気としか言いようのないような、ぞっとする凄みがあった。

「おう、ベニノワ(ベナン人という意味のフランス語)、荷造りの準備をしろ。お前なんか、明日といわず今すぐにでもしょっぴいてやろうか。懐かしい故里へ、送り返してやろうか。」のっけからこれである。挨拶も握手もあったものではない。

私たちのためにコーラを運んできてくれたホテルのボーイ頭のLさんに、Mは真顔で、にこりともせず言い放った。それから後のLさんに対する不良外人よばわりから始まる、強制送還をちらつかせての脅し文句に、私は言葉を失った。Mの、にこりともしない、落ち着きはらったもの静かな口調には、こいつ本気か、、、と思わせる、不気味さがあった。

「俺がどんな悪いことをした。」引きつった表情のままLさんが反撃した。Mは小ばかにするように静かに沈んだ声で続けた。「お前ら外国人そのものがこの国の邪魔なんだよ。お前のやってるケチなボーイの仕事でも、町の若い連中にひと声かけてみろ、100人くらいな応募者を集めることならあっという間だ。とにかく、荷造りすることだけは忘れるな。」

「やれるものならやってみろ。俺たちにだって大使館もあれば仲間もいる。お前の勝手にはさせない。」「ふん、荷造りの準備だけは忘れるなよ。」

これが2度3度と重なって、要するに毎週末プールサイドで顔あわせをする時の、MとLさんの挨拶がわり、お決まりのやり取りなのだと分かってからも、内容が内容であるだけに、しばらくは、いつ火を噴くかと気が気ではなかった。アフリカ各地でしばしば発生して大問題になる、在留外国人の強制退去を連想させられ、不気味な思いがつきまとった。私たち日本人にまでその矛先が向けられることはないにしても、やはり、他人事とは思えない、冗談が冗談ですまない、たちの悪さの度が過ぎた。

虚とも実とも計り知れないMの話。それがその後私が帰国するまで、実に1年近くにわたって続いたのだ。毎週土曜日の夕方、ホテルのプールサイドでぽつんと2人きりで、コーラをちびちび、店の主人に嫌がられないように間でもう一本ずつ注文してなめて、あれやこれやと話をする、そんな仲になってしまった。

彼が私に何を求めて接近してきたのか、そうしてなぜ、そんなにも長く関わり続けてきたのか、私にはいまだに分からない部分がある。しかし、こっちにとっては、休日の夕刻、無聊をなぐさめながら様々な話を聞ける貴重な情報源となったのである。

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