飲むぞB

イスラムの酒飲みをからかってはいけない。日本人は相手がイスラムだと分かると、すぐにこれをやる。飲酒は禁じられているのじゃないか? あんたは真面目なよい信者か? それともあまり、、、よくな、、、などと。そうして結局、笑いにする。あまりほめられた趣味ではない。

ラバトの首都緑化事業所長のN氏とは、時々一緒にビールを飲んだ。その彼が、ちょっと回ってきはじめたかなという段階にまでくると、必ず毎回、こんな風に言う。「アラー(神)は俺の心にある。俺のこの胸の中に、アラーはまちがいなくある。俺がどんなイスラムか、他人にとやかく言われんならん筋はない。なあ、ヤマト、そうだろう。」

私の方は、ああ、そうかそうか、そんなに心ぐるしいことなのか、イスラムが酒を飲むということは、、、と、彼の、弁解なしには飲めないという心理の方に心が向く。アラーがどこに居ようが、自分などには関係ない話だ。もう、ぼちぼち、控えめにしたほうが無難だぞ、、、とそっちの方がもっと気になる。

ニジェールではある憲兵と知り合いになった。目つきも態度もやはり常人ばなれをして、いかにも悪逆無道の憲兵そのものという面だましいのこの彼を、こっちとしては内心警戒しながらも、政府や世相の裏ばなしを知る一種の情報源にしていた。そうして、大統領選挙の際に軍がやった不正工作の状況やら、対立候補の暗殺寸前中止の件やら、あれこれかれこれ、毎週、土曜日の夕方、あるホテルのプールサイドで、氷の浮いたコーラを飲み飲み、ぼそりぼそりと聞き出すのだった。

その彼が、今でこそコーラで平気になったけれども、以前はアルコール中毒で、妄想に悩まされる状態にまで陥っていたと言う。憲兵などという仕事は、まともな神経で勤まるような仕事ではない。だからアルコールに走る。中毒に陥る。妄想に苦しむ。事故も増える。原因不明の病気で死ぬ。寿命の短い、どうしようもない仕事だ、、、と。現にこの間から、3人、立て続けに死んだ。まだそんな歳でもない奴らが、、、。

任国内を旅行したり、何かの都合で他の地域へ出張しなくてはならなかった時など、夜、仲間同士で、後学のために、町に一軒だけあるというディスコやバーに出かけることがある。そんな時、中にいる現地人が軍服姿だったりしたら、いくら相手が親しそうに声をかけても、深入りしないにこしたことはない。まずは寄りつかない方が無難である。

彼らは、まず、かなり世間を狭く生きている可能性が大である。まず、ご禁制破り、それも法律だの医者だのの世俗の次元ではなしに、神の口から語られた至上至高の掟に反するというストレス、善良な隣人たちからどんな陰口をたたかれているやら、疑心暗鬼というストレス、仕事自体からくるストレス、家族の尊敬など得られるぬ、よき父にも夫にもなり得ないというストレス。それでなければ、あんな、グデングデンになるまで飲むか。

外国人は一般の国民に比べて、一種特権的とも言える形で守られている。だから昼間は、手が出せない。生意気な野郎だと思ってもな。お日さまの下ではな。しかし、今晩はちょっと違うぞ。俺を誰様だと思う。何?イスラム? ああ、酒を俺は飲んでるよ。それが一体どうしたってんだ。外国人のお前さんが俺にアラーの講釈か?

人間が純情、まじめであればあるほど、ひとつの毒で皿までかじる。

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