ハルマッタン

ハルマッタンは西アフリカに雨期の終わりを伝える東よりの風である。乾ききって、辞典などには「暑い」風と記したものがあるけれども、本来、上空から降りてくる重い空気が地表にぶつかって生じる風であり、10月の末から1月の末頃まで、いうならば冬に吹く北東風であることからも、私たちの実感としては寒い、涼しい風である。

これがほこりを巻き上げる。雨期の間にうるおっていた大地を急速に乾燥させて、カラカラにさせるとともに、ほんの10メートル先さえも見えない濃霧のようなほこりの渦を砂漠から連れてくるし、地元からも巻き上げるのだ。日本の春先よく見られる黄砂現象は、ゴビ砂漠から運ばれた黄土のほこりが上空をおおって発生する。西アフリカのハルマッタンは、その黄砂とゴビ砂漠で吹く砂嵐とが一緒になった姿を思い描いてもらえばよい。風が吹けば地上のほこり、無風の日にはすっぽり厚く包むほこり、特に12月、1月の2ヶ月間は閉口する。

私が初めてニジェールに着任したのは1986年12月19日の真夜中だった。人通りのない街路をぬけてホテルへと急ぐ車の窓越しに、町の灯りがかすんで見えた。海岸に位置する首都ダカール。この街もかつて過ごしたモロッコのラバトと同様、朝晩は霧のかかる街なのだ、そう思うと住みよい場所のように思えた。霧のダカール、、、クー、ロマンチックよのう、、、てなものだ。知らぬが仏というやつである。霧なら朝晩三歩先が見えないくらい深くても、昼にははれる。ところがこいつははれるどころか、ますます厚く濃くなるのだ。

昼間でもぼんやりと白っぽい太陽が中天に力なく浮かんでいる。それすらも、厚いほこりの層に隠れて、見えなくなってしまう日がある。絶対に肺に悪い、目に悪い。息をするにも目をあけるにも、空気の流れ、ほこりの動きを見計らうようになる。あの年代、私がセネガルで過ごした80年代の後半には、特に、それがひどかった気がする。

90年代に入ってから住んだニジェールでは、ハルマッタンの基本的な状態に変わりはないとはいうものの、あの時期ほどではなかった。勿論、場所の違いもあろう。それに慣れもあるかも知れない。セネガルではプロジェクトの行われたティエス州の農耕地帯で、何度道に迷ったことか。たとえ真昼間であろうと、太陽が隠れてしまえば、これといった特徴のないだらっとした大地は、まるで濃霧の海原そっくりになるのだ。植林を行った場所の追跡調査などで村から村へ行く時にも、目的地までの距離と方角を基準にして動く私のような人間の感覚は、方角を知る星や太陽がなければ、すぐに狂ってしまうからだ。

ハルマッタンのこの時期、雨期の間に茂った草はすべて枯れはて、常緑の木々の緑は白くぼける。室内では、どんなにきっちり窓を閉めても、朝拭いたこげ茶色のラッカー仕上げのテーブルは昼にはうっすら粉を吹く。ダカールでの初めの時期、着任したばかりで何とも目鼻のつけようもないプロジェクトを抱えて、来る日も来る日も、いつ果てるとも知れないサハラぐもりの続く空に、私はほとほとうんざりした。日本の家族や知人に送る絵葉書の写真に写った青空が、まるで悪質ないたずらのように思えてならなかった。こんな空は昔ばなしに違いない。この国に、もう二度と、こんな空が返ることなどないのだ、、、と、本気で思ったくらいである。

ハルマッタン? ああ、あの風だろ、サハラ砂漠から吹く。乾期の初めのサハラぐもりの空だろう。涼しくていいじゃないか、、、と、言えるまでには年期がいる。。

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