雨D

与謝野鉄幹の歌にある、ああ皐月(さつき)仏蘭西(フランス)の野は火の色す 君も雛罌粟(コクリコ)吾も雛罌粟(コクリコ)、、、モロッコの春はまさしくあれである。勿論、アトラスの北側の平原地帯でのことだ。一体、麦とヒナゲシと、どっちを栽培しているのだ、、、ヒナゲシの燃えるような色ばっかりが目につく畑に、かえって、文句のひとつも言って見たくなる。我々が心はずまぬわけがない。

場所によっては真っ白、黄色、あざやかな黄金色、、、毎年5月はじめの連休に、私たちラバト勤務の隊員たちはお花見を目的にしてツアーを組む。通勤用、生活用に支給された50ccのバイクを5台、6台と連ねて、あちこちと野山の道をたどりながら、1泊2日の旅に出るのだ。協力隊の現地事務所も、私たちがいた時代には、まだおおらかなものだった。バイクの目的外使用だ、貸与取り消しだなどとうるさく責めることもなかった。

今に残る古代ローマの遺跡で、家族連れで観光にきていた大使館の書記官一家と出っくわした。おりゃっ? 諸君は? というわけである。まさかとは思ったが、あの時はあわてた。しかし、お互いガキじゃない。いちいち事務所に、隊員がバイクで云々かんぬんと通報なんかするものか。雨期あけのこの時期、私たちの最大の楽しみに、氷雨よろしく、水をさされてなるものか。

日本に帰ってからも、モロッコの雨期あけの野の輝きが心に残り続けていた。セネガルへの赴任が決定したときに、まず思い描いた情景は、あの、平原を覆いつくす緑色の絨毯と赤、白、黄色のパッチワークの世界であった。砂漠化に苦しんでいる地域にも雨期はある。雨期あけの野の草花は、一体どんな色の世界を描きだしてくれるのか、、、今度はセネガル、、、これは、楽しみだわいな、、、と。

ところが、それは案に相違。まったく目論見ちがいだった。セネガルでもニジェールでも、色鮮やかな野の花々が咲き乱れる、そんな景色にはただの一度も出合わなかった。大抵は細いチガヤのような草がはえた土地ばっかりで、色彩豊かな大根やナタネの仲間の花だとかヒナゲシの姿など望むべくもないのである。

もっとも、それはそれなり、芝生を思わせるチガヤは、少し荒れ気味ではあっても、平原の起伏とあいまって、ゴルフ場を連想させるには十分であった。遠見には、まさしくゴルフのフェアウエーそのものなのだ。彩りのない風景に、半分、やけになってということだけでもないのだが、あの高台からティーショットを打って、ボールを追って行き続けたら、サハラの縁まで一体何打で行けるのかしら。サハラ砂漠のバンカーまでに、一体何日かかるだろうか。相当なロングホールになるはずだぞ。ゴルフなどしたこともない私でさえ、ついついそんなことを思ったりする。

小さな猫ジャラシみたいな穂が、何百何千万本、西日をうけて銀色に輝きながらそよぐ姿は、やはり壮観ではあった。しかしそれもまもなく枯れはて、白っぽい薄黄色の針のように細ってしまう。そうして、10月の末頃からほぼ3ヶ月間は、サハラ砂漠からの乾ききった北東風が吹いて、私たちの言うサハラぐもり、ハルマッタンの季節となる。

本格的な乾期の到来もまもなくというわけだ。

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