イルフェボー ネスパ?

「よいお天気ですねえ」と、日常会話に天気のことが話題になるのは、洋の東西を問わず、ごくありふれたことである。その意味からも、Il fait beau,n’est-ce pas?( イルフェボー ネスパ?)というフランス語表現は、いわばしょっちゅう耳にする、ごくごく普通の日常的な会話の文句なのである。

朝、顔をあわせた者同士が、どちらからともなく「よいお天気ですねえ」「本当によいお天気で、、、」などと言葉を投げかけあう、何とも他愛のない会話。本当によいのは、そしてそのおかげで、すっきりと晴れ上がるのは、お空の模様ばかりではなかったりする。

ところがどっこい、世間は広い。これがなかなかそうとばかりは言い切れない。「よいお天気」がカラッと晴れた抜けるような青空だけとは限らない、まったく逆のケースだってあるのだ。それがまた世の中の面白いところである。

実はモロッコでも、セネガルでも、そして勿論ニジェールでも、この「イルフェボー ネスパ?」を、何度も友人たちの口から聞いた。そして、こちらは、そのたびに内心返事に窮したのである。え?どうしてか? 雨が降っているんですよ。雨がザーザー音を立ててね。そんな大雨降りの日に、「よいお天気ですねえ」などと言われて戸惑わないでいられますか?

最初は軽い冗談だろうとそう思った。仲のよい友だち同士が、全く事実や思っていることと正反対のことを言ってからかいあうのは、これまたよくあることなのだ。ところが、相手は本気も本気、大真面目に今日の雨降りを「よいお天気」として喜んでいるのである。

これら、サハラ砂漠周辺の国々では、雨期と乾期がぱっちりと分かれている。年のうち半分以上、3分の2近くもの間、雨が一滴も降らないような月が続くし、雨期になっても予想どおりに順調に降ってくれるとは限らない。

来る日も来る日も、カラッと晴れて、雲の姿など薬にしたくてもめったにお目にかかれない、、、などと言うとかなり大げさな言い方になるけれども、着実に大地を乾かし緑を枯らし、乾ききった風の中にほこりの臭いを強めていく乾期の、まるで死を象徴するかのような「晴天」が、果たして「よいお天気」と言えるかどうか。大地をうるおし、木々の葉に降り積もったほこりを洗って緑に返し、野山に草や花や木々の芽生えをもたらして、来るべき農耕や牧畜の富を約束してくれる、生の象徴とも言うべき恵みの水の「雨降り」が果たして「よいお天気」ではないのか。考えてみればすぐ分かる。

それは全くそのとおりだ。「よい」か「よくない」かは人間の決めること。天気自体に生まれつきよいも悪いもあるものか。温帯の多雨地帯に住む我々は「晴天」が「よいお天気」、激烈な乾燥地帯に住む彼らは「雨降り」が「よいお天気」。何の不思議もないじゃないか。

しかし、やっぱり、理屈では分かりきっているつもりでも、雨のバシャバシャいう音に「イルフェボー ネスパ?」とはならない。だから、いつでも違和感がつきまとう。

ひょっとすると、西アフリカから来た彼らは、日本の「よいお天気ですね?」に、全く逆の経験をしているのかも知れない。

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