ブーレグレグのほとりA

ブーレグレグの渡しには、休みの日になると店を出すおばちゃんが一人居た。

平日には渡し舟を利用する人たちが忙しく行きかって、結構にぎやかではあっても、週末や祭日にはボートの数も少なくなって、閑散とした感じになる。そんな渡し場の広場に、週末や祭日に限ってポツンと店を出す、おばちゃんが居るのである。

おばちゃん? おネエさんかもしれない。一体何歳くらいだろうか、目しか出てない伝統的な衣装からは、歳のほどまでは分からない。ひょっとしたら、まだ私より若いのかもしれない。しかし、やっぱり、おばちゃんという言い方がぴったりする。

店? 店だろ、たとえひしゃげたバケツ一個と古新聞しかなくても。彼女は必ずそこに坐って、時期によっては黒こうもりを日傘にしながら、商売をしているのだ。他には一切何もない、舗装さえもされていない、川に沿った長い広場にたった一軒、一人だけ出す小さなお店。そのおばちゃんの売るゴカイに、私と私の相棒、ラバト市役所に勤務していた測量隊員のHさんとはどれだけお世話になったことか。

1ディルハムとか2ディルハム、50円、100円の単位だが、その日の釣りの予定に合わせて、私たちはゴカイを買う。バケツの泥をさっとめくれば、団子になったゴカイの群れ。指先でパッパッパとより分けながら、破り取った古新聞の上に乗せる。何回か同じ動作を繰り返した後、必ず一瞬、その手が止まる。これでどうだ、、、と、聞いているのだ。反射的に、まだだと叫ぶ。一つかみだけおまけがくる。お互い名前も知らない同士、最低限、必要以外に交わす言葉も持たないけれども、かけあいの呼吸だけはぴったり合う。

ある時、私と相棒と二人そろってそこへ出かけたときのこと。私がゴカイを受け取ってコインを2枚渡した。その時バイクにまたがって側で見ていた相棒が、呟くようにこう言った。「わし、ほんと、こういうのって好きなんよね。わし、こういうのには弱いねん。」
「え?」と顔を上げた私に、彼はフルフェイスのヘルメットの中から、言葉の意味を目線で示した。いつも一人でぽつんと坐るそのおばちゃんのすぐ後方に子どもがいた。

小学校の1、2年生くらいか。おばちゃんの子どもらしい、短い髪の粗末なシャツの男の子。どこにでも居るような男の子が、そこに居た。ああ、今日はめずらしく子ども連れで来ているのか。このおばちゃんにも家族があるのだ。考えてみれば当然のことなのだ。
と、その子の姿に目をやったとき、私は思わず目を疑った。私たちのやり取りなど一瞥さえしない。私と相棒は勿論、母親であるおばちゃんの存在すらも忘れ去って、その子は別の世界にいた。いつもはおばちゃんが椅子にする小さな木箱を机にして、一心不乱、ものも言わずに、ノートに文字を書いていたのだ。それもアラビア語の文字を、、、。

学校の宿題ででもあろうか、ゴカイ売りの母親について来て、殺風景な広場の隅でノートがやっと乗るだけの小さな木箱を机がわりに、一字一字刻むように字を書く子ども。おばちゃんの生活の一端を垣間見た思いとともに、相棒の言葉の意味が心にしみた。

午後、海岸で、私と相棒の二人は、いつも同様、魚信(あたり)のなさをぼやきながら、うなずきあった。あの子、ほんと、楽しみやで、、、と。魚は一向釣れんけど、まだまだこの国、捨てたものではないなあ、、、と。

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