「モロッコには木に登るヤギがいる」。協力隊の隊員として赴任してまだ間もない時期、先輩連中からその話を聞いた時、「またーっ」と思わず吹きださずにはいられなかった。また例の、あることないこと、口から出まかせのホラばなしかと、、、。
木に登る? ヤギが? あの足で? どうやって? 豚の間違いではないの?
ところが、実際に、モロッコには木に登るヤギがいるのである。百聞は一見にしかずとはよく言ったもので、それまで全く先輩連中のお話を信用していなかった私も、国内旅行でモロッコ南部に出かけて実物を見たときには、半分ペテンにかけられた気分ではあったけれども、否応なしに納得せざるを得なかった。確かにヤギが木に登っていたのである。それもあちこち、多いときには一本の木に十数匹も、、、。
半分ペテン、、、そうである。半分はペテンである。実は、ヤギそのものより、木のほうにこそ「問題」があったのだ。正確に言うならば、「モロッコにはヤギの登れる木がある」。そうして「ヤギの登れる木に登るヤギがいる」ということなのである。
乾燥の激しいモロッコ南部の海岸近くに自生する「アロガニエ」と呼ばれる木は、トゲだらけで節くれだった枝が根元近くから出ていて、遠見には枝の多いウバメガシの古木を思わせる感じの樹木である。ヤギは飼料となる草が地面に乏しくなると、その常緑樹であるアロガニエの枝先の葉を食べに、斜めになった幹や枝を踏んで、ピョンピョン登って行くのである。岩登りの得意なヤギのことである。アロガニエはその枝のつき具合といい、葉の味といい、ヤギが登るにはもってこいの岩場、いや、樹木だというわけなのだ。
私たちはそれと見ると、乗ってきた車を少し離れたところにそっと停める。そうして、そろっとなるべく静かに、相手を刺激しないように、注意しながら近づいていく。黒やら白やら10匹以上ものヤギが登っている木に出くわしたりした時には、絶好のシャッターチャンス、今度こそはといやがうえにも心がはやる。しかし、敵さん、なかなかにみごとである。そこはそれ、臆病の代名詞のように言われるヒツジの親戚、ヤギだって気の小ささと逃げ足の速さなら決して負けたものではない。
ファインダーを覗きながら、もう一歩もう一歩と構図を欲張りたくなる当方の思惑など、先方は先刻承知、車が少し離れたところに止まった時点で、すでにもう心は逃げ出してしまっている。登るのも得意なら、降りるのも朝飯前。3メートルやそこそこの高さの枝などあっという間、転がるように走り降りる。こっちだって慣れが半分あきらめ半分、プロでやってるわけでもなし、そこそこ、らしい写真が撮れたらそれで十分さ、、、と平静を装って、あっという間に一匹もいなくなったアロガニエの枝を見上げて舌打ちする。
一度、写真をとらないで、半分悔し紛れながら、次から次へと逃げ出し始めたヤギの群れに言ってやったことがある。「お前らは知ってるか。えー、知らないだろ。日本のヤギは空を飛ぶんだぞ。お前らと違ってな、日本のヤギは空を飛べるんだぞ」と。
言い終わったその瞬間、一匹、ドデーンと地表におちた。あまりにあわてて枝から足を踏み外した? そういう解釈もあります。でも、モロッコのヤギも、ひょっとしてホントかしらと、ためしに空を飛んでみた、、、私は、今でもそう信じることにしています。
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