日本からのカドーだ、、、と、一通り、挨拶が終わった後でさりげなく渡す。日本で、適当なお土産は、、、と物色していたときから、その渡す相手と品物とが一直線でつながっていた場合には問題ない。こっちだって、あの相手にはこれを、、、と、一応、心しながら選んだのだ。
しかし、受け取る側の反応には2種類ある。素直に喜んでくれる人、同じように「メルシ(ありがとう)」とは言うのだが、何となく歯切れの悪い感じの人。どうしたんだろう、この品物が気にいらないのだろうか、えらい素っ気ない態度だなあと気にかかる、そういう相手がセネガルでもニジェールでも、かなりな率で居たのである。
ニジェールの首都ニアメ市で、自動車の修理工場を営んでいたアルジェリア人のA氏に、日ごろお世話になるお礼と、彼の技術に対する尊敬の意味をこめて、壁掛け時計をプレゼントしたことがある。電池式、丸型、金縁、アラビア数字のアナログ時計、日本でなら日用雑貨の店で売っているが、壁掛け時計などという代物は、銀行でも官庁でもめったにお目にかかれないお国がら、A氏は大喜びで受け取ってくれた。しかし、私には何かがひとつ心に残った。彼が一瞬、ほんの一瞬、ためらいの表情を見せたように思えたのだ。
しばらくしてまた彼の工場を訪問した。意外なことに、私のプレゼントした時計が、事務所の壁にかかっていた。昼間ほとんど開けっ放しになって、何もかもがほこりだらけになる事務所。その壁に、金縁の壁掛け時計。ほこりよけにかけられた透明のビニールの袋に、A氏の愛情は感じられる。ああ、一応、気に入ってはくれているのだ、、、と。
けれども本当は違和感のかたまりになっていた。彼はこの金縁の掛け時計を気に入ってくれている、そのことは痛いほどよく分かる。しかし、なら、それがなぜ、ほこりっぽい事務所の壁の上なのか。本来ならこんな所ではなしに、自宅の、居間、客間、しかるべき場所にかけられるはずなのだ。彼自身、この時計には目を輝かせていたはずだ。どうでもいい代物とは違う、それが証拠に、丁寧にビニールのカバーがかけられているのだ。
素っ気ない態度で受け取る相手には、それなりの違和感はおぼえながらも、慣れていた。
けれども、A氏のようなケースは初めてだった。一体どういうことなのだろう。一体何を意味するのか。どんなメッセージが、その中に込められているのか。直接尋ねるわけにもいかず、悩みぬいた。ひょっとして、俺に何か含むところでもあるのか、、、と。
ひょんなことから、その原因が判明した。よくよく考えてみれば、こっちからのカドーに対して、一種複雑な反応を示す人たちには、共通点があったのである。
イスラムの国々では、男は同時に最高4人までの配偶者をもつことが可能である。ただし、その複数の相手に対して、すべてにわたって平等に扱うことが前提の条件となっている。彼らはいずれも、二人あるいは三人の女性と婚姻関係にあって、その数だけの家が別個にあったのだ。カドーを受け取ったその瞬間彼らの頭をかすめたものは、たった一つしかないこの品物、さてどうしたらよいものか、どうしたら公平を欠くことなしに、カミサン同士もめることなく円満におさめられるか、その1点だったわけである。
イスラムの人間は、プレゼントをもらっても、うれしそうな顔をしない、だから傲慢? いえいえ、それには私たちとは違う深い事情があるのです。
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