タクシーでの会話

ニジェールのタクシーにはメーターが付いていない。しかも相乗り。助手席に2人、後ろに4人、都合6人までお客を乗せても良いことになっている。先進国なみに考えたらあてが違う。仮に前方からタクシーが空車で来たからと言っても、乗せてくれるとは限らない。その時運転手が頭の中で描いている路線から外れるなら、乗車拒否をくらうのである。

運転手は、目的地が同じであるか、ほんの少し外れる程度のお客だけしか相手にしない。行き先が同じ路線のお客だけを次から次へと拾って行く。言わば行き先表示のない路線バスと同じである。勿論、値段もバスなみで、何処から何処までいくらいくらとお客の払う料金は決まっている。運転手は満席と最短距離で効率よく稼がなくては立ち行かない。

実は、これから書く話は、自分が直接経験したことではない。うちのカミサンから聞いた、言うならば伝聞資料と言う奴でいく分うしろめたい感じはするが、紹介する。

カミサンは、三日にあげず、野菜や果物を買うために市場へ行く。その時は必ず、家の前から、通りかかったタクシーを捕まえる。そうしてタクシーで帰って来る。肥ったおばちゃんが隣にいて、ギュウギュウづめの目にあったり、隣に座った男性が、触れることを遠慮して苦労している様子を見て、この国の男性は紳士だと一種感動したりする。

もっとも、世界中で一番スケベなのは日本人の男だと、狭いことを良いことに、あわよくばあそこら辺りに触れようと虎視眈々と狙っている、そんな男はニジェールにはいない、日本の男だけだと、こう言われるとグーの音もない。思い当たる節のない話でもないし、、、ね。

さてと、これからが本題。ある日、例の通り市場方面へのタクシーに乗った時、途中でアメリカ人のピースコー(平和部隊)と思わしい女の子2人が手をあげた。その時は助手席に一人、後部座席にカミサン一人で十分スペースが有った。にも関わらず、運転手は乗せるのを拒否した。そうして走り始めた後、助手席の男が言った。「おい、今の白人、ザルマ語をしゃべらなかったか」と。「ああ、ザルマ語だったな」と運転手。「へー、ザルマ語をしゃべる白人がいるんだな。俺あ、生まれて初めて見たよ」「ザルマ語だろ、ハウサ語だろ、一杯しゃべる人が居るぜ。俺あ何人乗せたことか」「へえー、白人がザルマ語ねえ。いやあ、大したもんだなあ。へえー、白人がねえ」「何も驚くことはねえやな。大したもんだぜ、ザルマ語だってハウサ語だってよ。フランス語なんか目じゃないぜ。今じゃ誰でもザルマ語かハウサ語だぜ。」「へー、フランス語なんか相手じゃない。そりゃあやっぱり大したもんだ。へー、ザルマ語もハウサ語も。いやあ、やっぱり大したもんだ。今日はもの凄い発見だ。へー」

助手席のお客は市場の手前で降りた。カミサンはこの話がおかしくてたまらなかったと、私に話した。ニジェールの現地語であるザルマ語とハウサ語に胸を張った二人の会話。それが全てフランス語で交わされた。だからこそカミサンにも分かった、、、と。

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