クーデター」A

ガソリン屋は動いていた。「クーデターだろ。暇なこった」と口では平然と答えたが、緊張しているのは彼らだって同じである。

前方から車が来ているその間はまず心配はないだろうと、私は街を見て回る。異常事態発生時の集合場所になっているJICA事務所への道には、要所要所に銃を持った兵隊の姿がある。近づけたものではない。チラッとでも兵士の姿が目についたら、私はすぐにトラックを横道に入れる。バリバリと一撫でされてはたまらない。そうしてほぼ十分ごとに帰宅して、無線で情報を交換する。

隊員の中7名は、週末を当て込んで、国立公園へ野生動物を見に出かけていた。無線での連絡を通じて、ほとんどの隊員たちは無事が確認されたけれども、4名、どうしても見つからない。それに肝心のJICA所長のS氏の安否がつかめない。無線で何度呼びかけても一向に返答がないのである。

首都のニアメ市内に住む他の在留邦人は、井戸掘りのプロジェクトで2名、某公団の実証調査チームで2名、都合4人が居るだけだった。井戸掘りの2名とは無線で連絡がついた。ところが某公団の2名だけは何とも連絡が取れない。確認に行こうにも近寄れない。 砲声がやっと下火になって来て、機銃の音だけが散発的に聞こえ始める夕刻までに、私は2回、JICA事務所まで行った。隊員たちは数名、隣接の宿舎でのんびりと麻雀に興じている。カメラ抱えて、、、などという酔狂者がいないだけでも安心した。

S所長の所へも2度行った。JICA事務所から歩いて数分の距離である。何回ベルを鳴らしても、扉をドンドン叩いても全く反応なしである。

一度などは、所長宅のすぐ側にある大統領警護隊の本部から、銃を持った兵隊が数名、すぐ目の前まで出張ってきた。砲撃痕を覗いていた野次馬たちが逃げまどう。外国人の自分は目立つ。心臓が止まるような思いをした。塀を越えて所長の屋敷に逃げ込もうかとも思ったが、兵隊たちに怪しまれては却ってヤバイと、神経を背中に集中させながらそろりそろりと歩いて逃げた。

結果的に、隊員4名もそれぞれに無事であることが分かり、S所長も、3度目に塀を越えて私が屋敷に入って所在を確認した。彼の家の真横にあたる路上から警護隊の本部へ向かって戦車砲が火を吹いた。その爆風で窓ガラスが2枚割れ、すっかり動転した彼は、自分の安全責任者としての任務も忘れて冷え込んでいたらしい。

傑作なのは某公団の2名である。戒厳令で威嚇射撃の機銃音が時折響く夜の間は、いくら私でも安否の確認など出来ない。翌日の早朝、別々になっている彼らの逗留先を訪ねた。

一人は寝ぼけ眼で起きてきた。「昨日は昼から風邪気味でぐっすり寝込んでいたために、何があったかわしゃ全然、、、」とそう答えた。もう一方は、トーストをかじりながら扉を開けた。「どうしたの、こんな時間に、、、」と。彼の住むアパートのほぼ真下でも砲撃が行われた。にもかかわらず、ドンドンと轟き渡るその音を、何かの祭りで浮かれ騒いでいるのだろうと全く意にも止めなかった。「エーッ、クーデターッ」と言う次第。

案じた程のことはなかった。肝の据わった連中には勝てない。クーデターは内戦にもならず成功裏に終わった。

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