ソフトボールはお好きですか

ソフトボールが、セネガルでもニジェールでも盛んである。え、何、現地人がソフトボールをするのかい ? いやいや、アメリカ人の話ですよ。

日本チームは、ニジェールでは大会の時にだけ参加してお茶を濁す程度だったが、大使館も存在し在留邦人がかなりいるセネガルでは、ほとんど毎週試合である。

アメリカが大使館、USAID(援助局)、企業グループで3チーム、カナダ、日本、それに韓国が途中から加入して、6チーム総当たりのリーグ戦。雨期が終わって涼しくなる11月の中頃から、ダカールのフランス軍のグランドが舞台となる。例年のことである。

セネガルに着任して間もなく、それこそ持ってきた荷物をまだ開いてもいない中に、私も試合に引き出された。しかもそれがピッチャーで。

と書くと、さぞかし腕にお覚えが、、、と、そう思われるかも知れないが、力はない、生来の鈍足、それに加えての四十肩、痛くて腕が上がらない、そんな私に出来るポジションはとなると、10番、ピッチャー以外にない。下から投げるその分には肩の痛みは関係ない。誰でも良いからフォアボールを出さない人間でさえあればと、呼び出された訳である。人が一人足りないと。

爾来私は、その時休暇で不在だった漁業関連の専門家、監督兼エースをライトに追いやって、日本チームの「看板」投手を5シーズン勤めた。いや、なに、強打好守の元エースをピッチャーなんかに使うのが、もともと勿体ない話だったと言う、それだけのことである。フワッと投げるスローピッチ。打たせるためのピッチャーなのだ。

その間の成績は聞くだけ野暮と言うものだが、アメリカの大使館チームと優勝を競り合ったこともあるし、韓国とビリ争いをしたそんな年も確かにあった。メンバーに元甲子園が居たこともあるし、ランナーが走って来るのが恐ろしくて、球を受け取るその前にベースから足を離す、JICA所長がファーストだったこともある。

アメリカは全く本格的である。近隣の5,6カ国で寄り合って、毎年西アフリカ大会を開催する。わざわざ飛行機代を払ってまで、ソフトボールをするために選手団を派遣しあう。そうして各国それぞれに特徴のあるユニフォームを揃えて、遠征するし迎え撃つ。

日本チームは遠征まではかなわないが、ダカールが会場となったその時には、一軍二軍二チームで参加する。勿論、私は二軍チーム。協力隊の野球部上がりをわざわざ地方の任地から呼び寄せた一軍のピッチャーは元エース。ベースから足を離すJICA所長は私のチーム。当然結果は知れている。

全く平和そのものの、友好親善ソフトボールと言う訳なのだが、それでも時折政治の影がよぎるのがアメリカの宿命としたものか。一度などは、リビアからのテロリストがダカールに潜入しているおそれがあると言うことで、大会の開催が危ぶまれたことがある。固まってわいわい騒いでいる所を、テロリストに襲われたらたまらない。

ソフトボールも、時によっては命がけ。けれども腕に覚えのある方は、一度アメリカ大使館に一声かけてごらんなさい。大歓迎で、彼らはチームに入れてくれるはずです。

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