セネガルに居た当時、最大の楽しみは何と言っても、パリ・ダカールラリーであった。
年末にパリを出発したラリーの一行は、北西アフリカの砂漠地帯で数々のステージを重ねた末に、例年一月中旬頃にセネガルの首都ダカールに到着する。(今年、2000年のコースはダカール出発、カイロ終点になっていたが、、、。)
到着が何日になるのかは事前に発表されている。その当日は、私たちのプロジェクトは、それがたとえ週の何曜日にあたろうと、お休みになってしまう。リーダーの私が仮に平常通り勤務だとでも言おうものなら、チームメイトである協力隊の隊員たちに、それこそ恨み殺されることになる。年に一度の最大の楽しみを奪うのか、これを見たかったからこそ自分はセネガルまで来たんだぞ、、、と。
そのために、五年間の滞在で私は五回、家族は四回、最後の海岸のヴィクトリーランのスタートから表彰式にいたるまで、現地で見物する機会を持てた。
けれども、この段階まで来るとラリーの勝敗は既に決まってしまっている。在留する邦人の関心は、いきおい、ラリーの競走そのものよりも、今年はどんな有名人がダカールまで来るのか、一体誰に会えるのかと言う点に向く。特に若いご夫人方や協力隊の若者たちは、日頃の彼、彼女とは思えない程のミーハーに変身して、歌手のM・Yがホテルに泊まっているらしいとか、作家の誰それを見かけたとか、情報交換に花が咲く。
ある年、映画俳優のT・Kが来るという噂が流れた。任侠路線で不動の人気を獲得し、渋い存在感のある演技で光る大スターのKさんが、ダカールまで来ると言う話に、一部、ご夫人方は沸きに沸いた。あの人はコーヒーが好きらしいとかどうとかこうとか。
さて当日。最終到着地点の湖のほとりで、群衆の中を縫いながら、カメラを構えたご婦人方が走り回った。夜、ある邦人の家に集まって、今日のラリーの話になった。結局、誰も会えなかった、やっぱりあれは嘘だったのよと、あーあ馬鹿見たと、話が落着しかけた時、それまで同行した子供をあやすのに精一杯で、ろくろく話に加わる暇がなかった某専門家のご夫人が「あら、私、Kさんには会いましたよ」と口を開いたからたまらない。
彼女は乳飲み子を筆頭に小さな子供を三人も抱えて、車好きの旦那のお供で見物に行くには行ったが、もの凄い雑踏に何どころではなかったらしい。他のご夫人方が騒ぐほどには芸能界に関心もなし。写真は、カメラを持っていないので、当然ながら取らなかった。サインは、全く、貰うことさえ気が付かなかった。彼女らしい話である。
しばらくは攻撃の矢面に立たされた。「これだから”素人”は困るのよねえ」と。
「でも、Kさんの方が、写真を撮らせてくれと言って一枚一緒に撮りましたよ。後で送ってくれるんだって」に誰もがアッと息を飲んだ。
実際、パリからやっとの思いでたどり着いた地の果てとも思われるその場所で、モンペ姿で両手と背中に子供を抱えた、昔スタイルそのままの日本人のご婦人に会おうとは。「こんな所で貴女は一体何をなさっ、、、」と、びっくりしたのはKさんの方だった訳である。
数ヶ月後、一緒に写ったサイン入りの写真が届いた。ラリーにはドラマがある。
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