イスラム圏だから、ラマダンと言って一ヶ月間、断食をする月があると聞かされた時、実は不思議でならなかった。この期間、水や食物はおろか、唾さえも飲み込んではならないと言う。それならイスラム圏の人々は皆餓死するに違いない。少なくとも、モロッコへ行く自分は確実に死ぬだろう。それが案に相違して、イスラム圏諸国の人口は増えて行く。これは一体どういうことなんだろうかと。 しかし実際、断食を行うのは日の出から日没までの昼の間だけだと知って、それなら、、、と納得が行った。その上に、外国人の異教徒はやらなくても良いと聞いてほっとした。だから通算十二年余りのイスラム圏での滞在中、丸々彼らに付き合ったのはモロッコでの二年目、たったの一回だけしかない。
しかし何と言っても、ラマダンは、イスラム教徒の彼らにとって、羊を殺して神に供える「犠牲祭」共々、年間の最大の行事である。犠牲祭は羊を買う金の工面と準備の期間を別にすれば一日だけの「祭」ですむ。所がラマダンはそうはいかない。丸々一ヶ月間と言う長丁場の、いわば苦行である分だけ、緊張感の度合いが違う。
ラマダンが始まると、役所や会社の勤務時間が変わることは、モロッコでもセネガルでも、またニジェールでも同じである。普通なら二時間余りある昼休みが無くなって、四時か四時半までぶっ通しで働くが、それ以降は休みとなる。その点、旧フランス領イスラム圏の各国はよく似ている。 しかし、ラマダンに関しても、これら三カ国ではいささか受け止め方が違っている。一番大げさにラマダンラマダンと騒ぐのはモロッコ。セネガルやニジェールではもっと静かな感じがする。
モロッコの首都ラバトの市役所に勤めている友人が私にぼやいたことがある。「ラマダンが始まると、我が国の機能は全くストップだ」と。「まじめに断食している者は、空腹と寝不足で仕事になんかなりはしない。断食をこっそりさぼって居る者は、それがばれるのをおそれて、ことさらくたびれ果てた振りをする。だから誰も働けないし働かない」と。
セネガルでもニジェールでも、私の同僚、友人たちは、平然と仕事をし、ラマダンを口実にどうこうと言うことは一切なかった。彼らは淡々としている。そうして、日を追って、確実に衰弱の度を深めて行く。だから私たちのやっている砂漠化対策のためのプロジェクトでも、彼らに無理のかからないよう、極力、仕事は午前中で終えるように配慮した。
断食、ほんとにまじめにやっているのだろうか、、、と、大抵の日本人が邪推する。答えは一つ、私の経験からすれば、自分が断食している時には、みんながやって居そうに見える。しかしそうでない時には、やっていない者の方が目に付く。
とかく人は、自分に引き比べて人を見るとしたものか。
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