イスラム圏で日本人が一番とまどう事柄の一つに「インシャーラ」と言う言葉がある。
私が滞在したモロッコ、セネガル、ニジェールの三ヶ国はいずれもそのイスラム圏に属している。それぞれにイスラムの占める生活上の影響力や浸透度が違うために、その用法や用いられる頻度には大きな違いがあるけれども、もともとは「アラー(神)がお望みになるならば」と言う意味である。
上記の3カ国の中で、モロッコは北アフリカのアラブ社会の一員であるのに対して、セネガルとニジェールはサハラ砂漠の南側、ブラックアフリカに属しているために、やはり何かにつけて「インシャーラ」を聞く頻度と言う面ではモロッコが圧倒的に大である。
もともとこの言葉は、全ての計らいをアラー(神)の御手に委ねるということで、いうならば「人事を尽くして天命をまつ」ということになろう。ところが、現実には、人事を尽くさず天命のみに依存するか、天命を口実にして人事を尽くすことを回避するそのために使われているふしがきわめて顕著なのである。
モロッコでは、たとえば明日何時に何処そこで会おうという約束をした場合でも、相手がインシャーラと言えば、まずその約束は守られないのが普通である。そうして約束の刻限が来ても一向に姿を見せない相手のために、こっちはイライラさせられるのが関の山。 何につけても自己の意志を中心に据えて、万難を排して約束の履行を心がける日本人のあり方からすれば、最初から会う気がないなら、明日は都合が悪いからとはっきり断ってもらった方が気楽である。ところが彼らは、決してそんなふうには言わない。何ごとに関わらず、分かった分かった、インシャーラなのである。
あれだけ事情を説明し納得ずくで交わした約束なのだから、確かに相手はインシャーラとは言ったけれども、ひょっとすると来るかも知れないとそう思うと、たとえ空振りに終わるにしても自分からは無視しかねる。そうしてやっぱり待ちぼうけ。こう言うことが度重なると、いい加減不信感をつのらせることになる。
モロッコの首都緑化事業所の所長であるN氏などは、特にこのインシャーラの多い人物であった。彼が電話で話しているのを聞くと、まるで合いの手みたいにして、二言目にはインシャーラが入る。先方からの頼み事や要求を遠回しに断り続けていることは、彼の話すアラビア語の意味など皆目つかめなくてもすぐ分かる。そうしてその電話の相手は、彼と同等のクラスの人物か、あるいは目下の人間なのだと言うことも。
首都圏知事や王室の関係者からの電話には、一切インシャーラは付かない。まさしくただの一言半句もである。彼らはすっぽかして良い相手か悪い相手か、知り抜いてインシャーラを使う。
イスラムの社会では、イライラするより、公的であれ私的であれ、無視できないだけの影響力を持ちうるまでになって行くのが先決事項のようである。
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