ボンジュールA

前回私は、職場の秘書嬢に、「ボンジュール」が抜けていると言うことで何度も嫌な顔をされたと書いた。挨拶が簡単すぎて、全く流儀にかなっていないらしいのである。

ところがどっこい、そうとばかりは限らない。せっかちの日本人の私でも、意識して丁寧な挨拶の言葉をかけることだってない訳ではないのである。

たった一人で釣りに行く、最終回の映画に行く、外国人などめったに行かない迷路みたいに入り組んだ裏町へ買い物に出かけるなど、、、要するに安全を考えてあまり近づかないようにと大使館から通達の出るような場所や時間帯に、何かをする時がそれである。

モロッコでもセネガルでも、ニジェールでも、日本人が襲われたり危険な目にあうなどと言うことはそうしょっちゅう起こる訳ではない。しかし、いつでもどんな所でも全く心配ないかというとそうは行かない。カモと見れば一発、、、と言う不心得者は何処の国にでもいるし、事実、私の知人数人は切りつけられたり殴られたりの強盗被害にあっている。

週末に誰もいない海岸で釣り糸を垂れている時や、夜更けの人通りの絶えた道を映画館から一人歩いて帰宅する時など、いわば半分狙って下さいと言っている様なものである。そんな時誰かに本気で襲われでもしようものなら、ひとたまりもないことになる。とは言え強盗などの被害をおそれて止めにするには、これらの魅力は大き過ぎる。

だから「ボンジュール」なのである。夜にはこれが「ボンソワール(こんばんは)」と言うことになる。誰でも良い、近づいてきた相手には、極力明るい大きな声でこっちから積極的に声をかける。

そんな時、大抵は相手の方がビックリする。私のこれまでの経験では、まず十中八九、先方がどぎまぎした。知りもしない外国人から積極的に挨拶されて、一瞬ビクッとしない人間はどこの国にもそう多くはない。その上に、丁寧に挨拶してきた相手に対して、知らんふりをするなどという恥知らずなことは絶対に出来ないのがこれらの国の人々の最大の美点でもある。

仮に相手が自分に対して、あわよくばと何かを企んでいたとしても、まさか挨拶まで交わした、しかも先方から積極的に友好的な態度を示している人間に向かって、「今晩は、お元気ですか。ええ、私もね、どうにかこうにか。やい、金を出せ」とはまずならない。それに相手が害意を一切持っていなかった場合でも、こっちの損になることは一つもない。

これまでたまたま運が良かっただけの話なのかも知れないが、とにかく私はこの挨拶で乗り切って来たのだと信じている。危ないと思われる状況では、必ずこっちから積極的にボンジュール、ボンソワールと声をかける。そうして相手の機先を制する、これが鉄則なのである。挨拶を交わしあえば、お互いの緊張感もとけてくる、それが人情というものだ。

だから、朝の挨拶もブスッとしてろくろく返事もしないでいる貴方、もしも何かの拍子にでも海外に出かける可能性があるようなら、日本にいる今のうちから、少しは練習しておいた方が無難なのかも知れませんよ。

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