ボンジュール@

あっと思った時にはいつでも手遅れ。自分でも気が付いて、「しまった」と思うのだが、もう既に後のまつり。と言うと一体どんな大事件だと思われるかも知れないが、何のことはない、ただの一言「ボンジュール」とそれに続く挨拶の言葉である。

セネガルでは特にこの失敗が多かった。一度などは、相手に「我が国では人にものを尋ねる時には、まず第一にボンジュールと言うことになっている」と、露骨に非礼を詰られた。国道から目的地に入る枝道が分からなくて、先方から来た老人に行き先の名を告げてこの道で良いのかと尋ねた時のことである。

私の配属先である自然保護省の土壌保全植林局では、局長の秘書嬢に何度も嫌な顔をされた。ボンジュール(こんにちは、あるいは、お早うと言う意味のフランス語)が抜けていると言うのである。

自分としては相手の顔を見た時に、すでに一声かけたつもりなのだが、それはあくまで日本流。彼やら彼女やらの流儀からすれば、ろくろく挨拶もしないですぐに用件を切り出す、何とも無礼千万な態度と言うことになるらしい。

実際、セネガルは勿論のこと、モロッコでもニジェールでも、彼らの挨拶は馬鹿丁寧なくらい念入りに行われるのが普通である。一緒にいた友人でも知人でも、道で誰かに会おうものなら、こっちはタバコを一本吸えるくらいは待たされるのが普通である。見ているとまるで何年ぶりの再会かと思われる程に、双方握手したままで満面に笑みを浮かべて誰はばかることなく、大声で挨拶を交わしている。別にこれと言って大事な話はしていない。後で誰だったんだと聞くと、職場の同僚だったり隣に住んでいる人だったり。

「お早う、所で局長居る?」と、日本ではこれで十分通用しても、これらの国ではそうはいかない。言葉が十分しゃべれない間は、割と注意深く相手の話に耳を傾けるために、自然に先方のペースに合った形になるけれども、職場にも慣れて会話に不自由しなくなって、いちいち考えなくても話が出来るようになって来ると、ついつい、地金の日本流が出る。特に急ぎの用の時など、そうである。

おかげで秘書嬢にはむくれられるし、「日本人ってみんな貴方みたいにせっかちな人ばっかりなんですか」と、嫌みの一つも言われることになるのである。

東京から出張で来たある人が、現地雇いのセネガル人に業を煮やして、「長ったらしい挨拶なんか時間の無駄だ。何をとろとろしているんだ」と叱りとばしたことがある。側で見ていて気持ちの良いものではなかった。その時は、自分のことは棚に上げて、やっぱり日本人って、せっかちなんだとそう思った。単なる習慣の違いと言えばそれまでのことなのだが、少なくとも、きっちりとした挨拶の出来る彼らの方が、人間的には遙かに大人なのかも知れないぞとも。

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