2022.10.06 12:33
あぁ、情けなや…。
昨日まではそこそこ良い天気だったが、今日ははっきりしない天気になった。朝晩は涼しくなったとはいえ、昨日は真夏のように暑かった。
昨日、団地の下側の道を歩いていたら、向こうから来た人がいきなりぶつかってきて、「どこを歩いているがぞ。このばかやろう」と言って、足を蹴り飛ばされて去られてしまった。声には聞き覚えはなかったし、姿が見える訳でもないため、どうすることもできない。ああ、何と情けないことか。相手はかなり若い男性で、たぶんスマホに夢中になって歩いている感じだった。このことは夫にも言っていないし、言ったところでどうしようもない。団地の外の道と言うことで白杖はきちんと持っていた。それが余計に悪かったのだろう。相手は見えないから乱暴な言葉て言ったのだろうなと思う。自分には何の落ち度もなかったと思っている。歩いていたのはガードレールぎりぎりのところだったし、白杖を道路側に突き出していたわけでもない。このような態度を取られても、腹が立つというより自分自身も情けなさを感じるし、このようなことしか言えない、さらにできない人は、何と哀れな人だなと思った。
村岡さんへ
いつもコメントをありがとうございます。
人様に提供できるソフトが作れるなんてすばらしいですね。私もいくつかソフトを作りましたが、とても商品になるものではなくて、自分のために作って使っただけです。
それと私は鍼灸の資格も持っていませんから、2000年当時は事業所と高校での授業、それに講演会、夜は家でテープ起こしをしていました。まあ、それが私のやりかただったんだなと思っています。事業所時代は、事務長が能力の高い人でしたから、本当に助かりました。同僚とは時々連絡していますが、皆が歳をとり、家の中で過ごすことが多くなっているものも増えてきました。まあ、進行性の障害は仕方がないですね。特に筋肉関係が悪かった者はなおさら進行しています。
この記事へのコメント
Re: あぁ、情けなや…。
いやあぁ、大変なめに合われましたね。
白杖を持たれているとの事安心しました。
そうなんです、我々のように視覚障害者は眼が見え無いと言う不自由さよりもその数千数万倍の社会的苦労をさせられていると言う事なのです。
「正直者は馬鹿を見る」と言う諺は私が子供の頃から聞いた言葉ですが私の人生幸いな事にそれは違うと言える人生体験で現在迄来れました。
「正直者は馬鹿を見る」と言うのは社会的に努力なさる方が体験される事のようです。
私みたいに個人生活で生きて来た者としては正直に生きると「恰好悪い思いは沢山体験しました」が決して馬鹿を見ると言う事が無かったなればこそ現在の自分が有る思いなのです。
アウリンさんの失明されてからのご活躍は以前から教えて頂いていたので私には理解出来る思いですが、盲学校などに行かれずご自身の経歴とご体験を行かせられたなればこそ現在迄の御活躍の立場が在られる事を私には理解出来るのです。
私の体験に付いてはこれ迄ここに投稿した通りでして、盲学校だけの学歴と個人自衛で食べて来た訳で、社会的に皆さんが無条件で信頼頂け無い立場を表現して来たのですから自分の人生目的は上手く果たせたのですからここ20年来楽に日々過ごせていると言う事なのです。
その基本的奇跡と言えるような私の人生は1980年代から1990年代迄の社会の進歩に上手く自分の努力が実って来たと言える事は誰も知らない事なのですね。
ですから盲学校の先生と言える立場以上の視覚障害者の事を私は理解出来ますがそのような恵まれた立場の皆さんに私の人生を理解する事は先ず不可能な事なのだと言えます。
とにかく人生心身共に健康で過ごしたいものですね。
2022/10/06 19:19 投稿: 下関の村岡です。
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Re: あぁ、情けなや…。
下関市の村岡さん、コメントをありがとうございます。私は失明してからは、仕事には案外恵まれていたと思います。特に講演会はありがたかったですね。丁度、娘が大学に入る時から始めましたので、どうにか2人の子どもが上の学校に行かせることができました。
それと、当時テープ起こしの発注があり、私は事業所の中では聴き取る力がありましたので、録音状態の悪いものでもなんとか商品にすることができ、「テープ起こしならあうリンに任せておけ」と言われるまでになりました。それもありがたいことの一つだったと思います。一口でテープ起こしと言ってもなかなか大変な発注もあり、「たかがテープ起こし、されどテープ起こし…」です。まあ、これはしてみないと分からないと思います。
いろいろと思い出してみると、お互いにできることで身を立てたということでしょうか?
2022/10/06 20:02 投稿: あうリン
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Re: あぁ、情けなや…。
人は努力すれば何とかなると言える時代が敗戦後から現在迄の我が国の社会環境だったとも言える時代に過ごせて私は本当に良い時代の良い国に生まれる事が出来たと歳を重ねる程に強く感じての現在でした。
ですから盲学校の卒業が近くなりそれ以後自宅開業した頃から自分が学び体験した技術で生きて行けるものならと憧れましたが以前にも書きましたように学校を出た時から親の援助も貰え無いままに先ず食べて行かねばならなかったので社会的に自分らしく職業に付く事は不可能でした。
山口県は唯一盲人会が会館を持っているのでそこの職員として給料が頂けたなら、アウリンさんがされた仕事は勿論私は点字印刷の事も判り思いがけなく1980年代に入った時から社会的にも人より先んじてコンピュータ関係技術を持てたものですから最も理想的な仕事が出来たと思います。
テープお越しの仕事の概念は私は判ってますし、録音された音も「フィルター関係」の技術も有りましたので可也の仕事が出来た筈です。
そのような事ですからもし私が、福祉団体会館または社会福祉協議会の関係の仕事が出来るチャンスを掴めていたなら、1980年代後半から1990年代迄に私が行なったその仕事内容の基本はそのような所の物になっていたと思いますね。
ですから私が行なったあの時代の報酬の全てが自分の物になっていればこそ現在の環境をつかめたと言えるのです。
幸いに私が作った家族に障害者がいないので私も太平楽に過ごせる毎日と言えます。
2022/10/07 10:15 投稿: 下関の村岡です。
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Re: あぁ、情けなや…。
下関市の村岡さん、こんにちは。
そうですね、村岡さんはとても高い能力を持っていますから、そのような仕事は簡単にできたと思います。私は高い能力は何もありませんから、ただ単に単純な仕事をしてきました。けどまあ、こうして食べて行けていますから良しとしなければなと思っています。浅く広くというところでしょうかねえ。
2022/10/07 14:16 投稿: あうリン
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Re: あぁ、情けなや…。
やあぁ私がここに投稿するのは、アウリンさんが障害者で無い頃には大学迄進まれ、ご主人との素晴らしい人生を送られる中、子育て真っ最中の時失明されたにも関わらずご努力されてのご様子を理解出来るからです。
私の場合はこれ迄あれこれ書いて来ましたが基本的には「食べて行く力を持たねば生きて行け無い」と言う10歳代の頃からの自覚を持てたなればこそ、詰まり「身の程心得たなれば」と言う事での人生でしたものね。
以前お話した事が有ると思いますが成人してからの人生結局私を生み育てた親が「成人した私の人格を理解出来無い」と言う、真の「最も身近に有り二十歳代迄」は若者らしく行動出来無い事からの自営業で社会的にどうにもならなかった社会人としての人生スタートだった事に有るのでしたね。
そのような事で決して高い能力を持てたのでは無く、その時々に身の程心得ての行動で何とか過ごせたなればこそで、今の時代的な状態でしたら「引き篭もりになるかとんでも無い事件を起こす」と言う事になっていたかもしれない心理状態も有ると言う危うい人生だったのでした。
そんな私でしたが人に自分の人生を相談した事は全く無かったのですが、障害者で無い方との沢山の交流のお蔭で救われた人生でした。
余り良い話題で無く失礼しましたが、私の人生体験何て誰の参考にもならない事も自覚してます。
2022/10/07 16:06 投稿: 下関の村岡です。
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Re: あぁ、情けなや…。
今晩は。
白杖を持っていたにも関わらず、ぶつかってきて
横暴な言動に怒りを覚えます。
そんな奴は、いつかしっぺ返しがきますよ。
2022/10/07 18:55 投稿: ごんパパ
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Re: あぁ、情けなや…。
ごんパパさん、そうですよね。
世の中理屈では無く廻り廻って来る運命が有るようなのです。
私の人生沢山のそのような廻り合いのお蔭と言えるような人生体験のお蔭で現在が有ると言う体験を沢山持ってます。
残された人生可能な限り沢山の楽しみと幸せを体験出来ますよう祈る思いです。
2022/10/07 19:24 投稿: 下関の村岡です。
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