2022.10.04 18:03
新築の時に後悔したもののことなど…。
今日は朝ちらっと雨が降り、あわてて二軒分の洗濯ものを入れ、「あぁ、疲れたな」と思いパソコンのいすに座り休んでいたら、腰の曲がったおばあさんが道に迷ったのか、ぶつぶつ言いながらシルバーカーをおしていたので外に出てみると、またまたトンでもないところに行っていた。目は見えるのだが、腰が90度以上曲がっているため、きちんと確かめないでシルバーカーをおすと、どこに行っているのか分からなくなることが増えてきている。ゴミ出しの日にはシルバーカーの音がすると、すぐに外に出て耳をすませるのだが、今日は聞きのがしていた。それと、我が家の洗濯ものを干しているのを目印にして来ているのが、今日は入れた後だったため、余計に分からなくなったのだと思う。
時々、様子を見に来ている娘さんから「監督頼むけんね」と言われているが、風の向きなどで音が分からないこともあったりする。
数日前のネット記事に、『家を建てた時に後悔したことは何ですか?』という質問で多かったのは下の通りだった。順番は定かではないが、ベランダ、浴室乾燥機、食洗器…。確か5つくらいはのっていたと思うが、記憶が定かではない。
確かに、狭いベランダは使い勝手が悪いだろうし、掃除もしなければならない。浴室用の乾燥機も「洗濯物もよく干せる」というのが売り物だと思うが、これも浴室に乾したりすることは少ないのではないかと思う。食洗器も小さい食器ばかりなら便利かも知れないが、それに入らないものや鍋のようなものはどうしても手で洗わなければならないし、家を建てる時に一緒につけなくても後で付けることもできる。
まあ自分は家を建てるといることは一生ないが、新しい団地になれば、お掃除ロボットが欲しいなと思っている。というのは、床が全部フラットと言うことと、玄関ホールがかなり広かったような気がする。昔で言う土間から上がり、部屋に着くまでにもう一部屋取れるのではないかと思うくらい広く感じた。それと欲しいものの中に、ガスの衣類乾燥機が欲しいのだが、ガス代がばかにならないらしい。電気の家庭用の衣類乾燥機は、どうも記事が傷むような気がする。まあ、狭いところで2時間近くも熱をかけて回すのだからそうなった手しまうのだと思う。ガスのものはまだ使ったことはないが、電気よりも乾きが早く生地も傷まないと聞いている。
食洗器は持っていないが、欲しいとも思わない。やはり手で洗った方が早いし、いろいろと落ち具合を確認することもできる。
この記事へのコメント
Re: 新築の時に後悔したもののことなど…。
今回書かれた様な話題で私がよく思うのは子供の頃の1950年代から1960年代の頃迄は今から思えば家庭の部屋にはそんなに色々な設備器具は無かったものでした。
特に我家は私の人生二十歳の頃の1960年代前半の頃迄は何も無い分部屋は広かったものでした。
ところが1960年代以後からは年齢が進む程に色々な物が家庭の中に入って来るようになり今から思い出しても凄い時代の凄い国に生まれる事が出来た人生だと思うところなのですね。
ところで前のメールで素晴らしく感じた話題は。
書かれました「高知市内の方に、素晴らしいSEがいて、私の聞いたことに対して解決ができなかったことは一度もないんです。その人にはあこがれますね。年は親子ほど離れていますが、今はテレワークをしている視覚障害(全盲)の男性です。」
との事、本当に良い出会いをされてますね。
私などは時代的な事も含め普通に実の両親に育てて貰ったと言う訳には行きませんでしたもので盲学校を出して貰うのがやっとと言う人生でした。
ですから世間的に常識的な盲学校教育を受けた事以外は全て独学とそれなりの努力に伴なった幸運のお蔭での何とか自立出来た人生でしたので今が有る思いです。
やはり何の力が無い若い時には大学に行かせて貰える両親の元に育てて貰えればそこそこの努力が実るのが世間の常識ですものね。
障害者で無ければ色々なアルバイトも出来まして何とか食べて行けますが視覚障害者はそのような訳には行きませんものね。
2022/10/04 19:21 投稿: 下関の村岡です。
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Re: 新築の時に後悔したもののことなど…。
下関市の村岡さん、おはようございます。
そうですよね、小さい頃には電化製品はほとんどなくて、冬の夜には豆炭のあんかを入れてもらい、夏にはかやをつって皆が一緒に寝たことでした。
それから少しして扇風機や電気こたつ、ローラーのしぼり気がついた洗うだけの洗濯機、ワンドアの冷蔵庫…など、次第に電化製品が家に入るようになりましたが、テレビなどはその時の月収にたいしてとても効果でしたよね。中学の時だったでしょうか、父がコロンビアのセパレートステレオを買ってきた時には、ものすごく豪華に見えました。少しあらけて置くと畳一畳分はありました。左右に大きなスピーカーを置き、真ん中の一番上にはレコードプレイあ、その下に確かテープを入れるところと、4トラックの大きなテープをさしこむところがあり、その下にはラジオ、さらにその下がLPレコードなどを入れるキャビネットになっていたものではなかったかと思いますが、テープを入れるところがあったかは定かではありません。父が最初に買ってきたレコードは『なおみの夢とシェリーに口づけ』でした。どうしてそんなものを買ってきたのかは知りませんが、これは面白くないなと思ったのか、母が好きな「五木ひろしのlPと、田畑よしおのLP」』を買ってきて聴いていました。
それから私の知っている高知市内のSEですが、高校の時には盲学校の普通科だったそうです。鍼灸などの学校には行かず、就職して、それもなかなか難しくなり、独学でパソコンを覚え、ソフトなども作って販売していました。私も彼が作ったソフトをいくつか買って使ったことがありますが、視覚障碍者が作ったソフトですから、とても使いやすかったなと思います。
今のテレワークの内容を聞くと、私には未知の世界のように感じるくらい、システムにせいつうしていなければならないなと思います。彼が今そうあるのは、努力のたまものにつきると思います。
2022/10/05 09:38 投稿: あうリン
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Re: 新築の時に後悔したもののことなど…。
いやあぁ素晴らしい話題ですね。
1950年代以後、世の中は本当に良くなって進みましたものね。
それで1990年代に入った頃から事業主の方は電器店などから強く進められてコンピュータを一式凡そ百万円近くかけて求めさせられしかし実際にその人達に役立つアプリケーションが無く困られている人に出会いましてね。
1980年代は先ず自分がコンピュータを用いる為のプログラム開発でした。
そして1990年代に入った頃から小規模経営の方の会社の台帳を聞き、その通りに動くプログラム製作をしたもので驚かれましてね。
それがきっかけで数社の専用事務アプリを作る仕事が来るようになり正にSEの仕事をする中で私が「これが本当のコンピュータの仕事ですよ」と説明したもので私も奇跡とも言えるような仕事を10年近く出来たものでした。
それから全盲のSEの方の事、本当に恵まれている方なのですね。
私も本当の父親が戦死しなかったら可也自分らしい人生が有ったとも言えるのですね。
でも育てて呉れたのが叔父だったのでまだまだ良い方だと思わなければなりません。
これからの時代全盲の立場で自立して人生を過ごせる時代では無いような気がしますね。
2022/10/05 11:02 投稿: 下関の村岡です。
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