母へのプレゼント

「採用することはできません。」就職試験の結果だった。私は将来のために、市役所、県庁、そして銀行の採用試験を受けた。結果はみごとなもので、全てがアウトだった。

銀行の方はそれなりの視覚は持っていたが、財産がなかったのか面接試験で落ちた。一方公務員試験では、ある市会議員から、「優秀な成績で合格しているようですから心配はないでしょう。」と聞かされていたが、結果は、全てが悲惨なものだった。理由は、「視力が0.1だけたりない。」と言うことだった。

昭和四十年代のこと、障害者をとりまく環境は厳しく、私も例外ではなかった。その時、これは部落差別と同じことだと実感した。それは、視力の弱い者は仕事ができないと決めつけていた。部落差別の中にも個人を見るのではなく、出身地で善悪を決めつけていた。まさに、このことが悲しい差別だと知った。

当時私は、日常生活には何の不自由もなく、就職に必要な視覚や条件は、視力が0.1たりない他は全て満たしていた。それにも関らず、「規程の健康状態ではありませんから、採用はできません。」と言われた。自分自身も合格まちがいないと確信していたが・・・。

その後私はある人に、「臨時採用はありませんか?。」と聞いた。そして、「採用はどうでもかまいませんから仕事ぶりを見て下さい。どうしても使いものにならないときには・・・。」とつけ加えた。すると係員は、「臨時採用のことはこれとはまた別で、体験入職は例がありません。」と言う答えが帰ってきた。

この時母は、はじめて私に詫びた。それは、「目の悪い子を産んでしまったことをすまない。」と言う。母の涙を見たが、私にはどうしても許すことができなかった。それは今まで母は、部落出身の彼と出会っていたことを何かにつけ反対していたからだ。母は、一度も彼に会おうとはしなかった。そして、「部落の人だから全てがダメだ。」と決めつけていた。そんな母を許すことができず、「自分勝手だ。」と反発した。親としてはつらいことだろうが、やりきれない思いは、私も・・・。

就職試験と併用して進学も考えていたが、以前のようにまた1人になることが恐くて、一度は市内の会社に就職した。そこは全寮制で、私にとってはつまらない場所だった。私は仕事が終ると、職場の先輩達と毎晩飲みに出た。そこでもいろいろなことを知り、たくさんの人を見た。そしてそこは、今まで見たことのない大人の世界だった。私は、毎晩先輩の誘いを受けた。お酒が入ると自分を意識することなく、急に大人になったような気がした。何となく危険で、そして急ぎ足で時間が流れていた。

こんな私だったが、与えられた仕事はきちんとこなした。これ以上自分に評価をつけられるのは、{やりきれない。}と思った。

社会人になり半年がすぎた頃、私は体の不調に気がついた。朝はスムーズにおきることができないし、職場でも雲の上にいるようで・・・。それでも、大したことはないと自分に言い聞かせていたが、ある日起き上がることができなくなった。血圧もぎりぎりまで下がり、声を出すのもつらかった。就職して初めてのダウンだった。

病名は、過労と精神的な緊張だと言われた。大したことはないと思っていたが、「全治1ヶ月。」と言うことだった。私は今まで職場で築いてきたものが、一気に崩れて行くようで・・・。その時はそのまま入院した。今までの付けが一度に回ってきた。

病室では借りてきたネコのように・・・。治療のかいがあり、私は予定通り退院した。私は職場にはもどらず、そのまま家に帰った。

しばらくは何もする気に慣れず、数日がたったある日、母が、「最後の願を聞いて欲しい。」と言う。それは私にとってとほうもない願だった。なんと、「弁護士になってくれ。」と言うではないか・・・。その時の母の目は、言い様のないほど疲れていた。私はあまりにも現実離れをしていることに笑った。それでも母は目をそらすこともなく、「最後のお願い・おねがい・・・。」とくり返した。それはこれから先自分達がいなくなっても何かの視覚があれば目のことで他人に左右されることが少ないと考えていたからだ。それにしても、私には願が大きすぎてすぐには返事ができなかった。 母を許していたわけではなかったが、なぜか疲れきった背中が寂しかった。それからの私達は、言い様のない気まずさが続いた。私の中から母の言葉が離れず、そして、私もなぜか、最初で最後の親孝行かも知れないと思った。

私はいろいろと考えた末、仕事を辞め入試にとりくんだ。それは想像以上に大変で、1年のブランクは大きかった。残りわずか2ヶ月で、全てをマスターしなければならない。目的があれば夢中になれるもので、私は法学部に無事合格した。これまでの母の人生で、1番満足できた日。そこには、笑っている母がいた。私は、こんなにもうれしそうな母を見るのは初めてのことだった。それからわずか二ヶ月後、母は急死した。結婚して二十年、あまりにも早すぎた。

母は、当時の女生としてはとてもすてきな人でいつもきれいだった。にぎやかなことが好きで、自ら舞台に立ち楽しそうに舞っていた。若くして嫁ぎ、その家に全てをつくしきれいなままで幕を下ろした。

私はその日、彼の家でコンサートの準備をしていた。知らせを聞いた私は、あまりにも突然のことで・・・。何がどうなっているのか分からないままに病院へ行くと、ベッドの上の母は、私の名前をよんでいた。声にならない声が、40年の母の人生そのものだった。

私はこの日まで、母をまともに見ることができなかった。いつもきれいですてきな母が、ふと悲しい目をしていた。声にならない母の声が、私にははっきりと聞こえた。そして、これは悪夢だと思った。このあまりにも静かで短い時間、旅立つ母に私は一体何ができるだろうか・・・。

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