先輩との出会い

私の好きなミツルさんはおじいさんからお店をもらい・・・。

岡林信康の「手紙」という歌を聞いた日、私は一人の先輩に出会った。彼はギターを持って教室に入ってきた。何を話すでもなく、私達は先輩の歌を聞いた。それは、今までに聞いたことのない寂しい歌だった。

教室には、私の他に2人の女の子がいた。私達は、先輩の歌に聞きほれた。歌い終えると先輩は、「この歌の意味が分るかい。」と聞いた。私には、歌の意味が理解できなかった。そして、なぜか知ることがとても恐かった。先輩は、何も説明することもなく教室を出て行った。私は、その日の先輩の後ろ姿を今でも忘れることができない。それは、私と同和問題との出会いだった。

彼は放課後になると毎日ギターを持って教室に入ってきた。そして、いつも何も言わずに歌いはじめ、終ると何も言わずに出ていった。私は何も教えてくれない先輩に、「部落問題って何ですか。」と聞いた。すると先輩は遠くを見るように、「そのうち分からあや。」と言った。中学時代の社会科の授業で、それに似たようなことを聞いていたが自分の中には何も残っていなかった。「あー、そうなんだ。」と聞き流していた。私達は、いつしかそんな先輩にあこがれた。それからも、先輩は毎日ギターを持って入って来た。

ある日、私達は見た。それは、渡り廊下で女の人とけんかをしていた。先輩には、すでに同級生の彼女がいた。私達は、見てはいけないものを見たような気がした。その日の先輩は、とても悲しい目をしていた。そのわけが、私達には分からなかった。

1学期も終ろうとしていたある日、専売が一冊の本を持ってきた。そこには、「狭山差別裁判」と書かれていた。私は、その本を夢中で読んだ。そこには、出会ったことのない現実が書かれていた。私は、どうすれば良いのか、何ができるのかが分からなかった。そして、こんなこと知らなければよかったと思った。

夏休みも終り、私達はまた先輩に会うようになった。彼はアルバイトをしていたのか、真っ黒に日焼けしていた。私は、いつのまにかギターにあこがれ、夏休みには楽器店でアルバイトをした。そして、バイト代の換わりに一台のギターとLPレコードをもらった。それは、私にとって最も大きな買い物だった。それからは、休み時間ともなればギターの練習に明け暮れた。どういうわけか、腕前の方はいっこうに上達する気配はなかった。ギターは私の宝物で、毎日一緒に登校した。ある朝友達が、「ギターに持たれちょうねえ。」とからかった。私は体が小さく、ギターの大きさにはいつも悩まされていた。

私は、高校になると同時に1年生の時から授業に不満を持っていた。それは、学習内容ではなく学校そのものと、教師のあり方に不合理を感じていた。勉強ができるものと、そうでないものとでは、あらゆる場面で見る目がちがっていた。

ある日の選択授業のこと、私は先輩にもらったフォークソングの楽譜を書き移していた。すると、突然、「何回言うたら分かるがぞ、先生は信念を持って授業をしよるに、お前のその態度は何ぞ。」と言って、征服の胸元をつかみ、私の体を床におしつけた。私はその時、「お前の信念は、女生徒の胸ぐらをつかみ上げることか。それなら、お前のポリシーも大したことないねや。」と笑ってやった。それからは、その教師は私を避けるようになった。

2学期が始まり2週間が過ぎた頃、「君は人並みじゃないんだから、もっとまじめに授業を受けていないと、この先誰も相手にしてくれませんよ。」と言われた。「人並みじゃない?。」それは、私の視力のことを言ったのだった。中学の頃は、人以上に努力や工夫をして来たが、自分は人並みではないと思ったことはなかった。それからの私は、教師にますます不信感を持つようになり授業にも出ないことも多くなった。そして、部落問題や差別のことにのめり込んだ。

二学期も半ばを過ぎた頃、先輩と私達は、「部落問題研究サークル(落研)」を結成した。メンバーは、私達三人と先輩、そして、興味を持っている友達7人でスタートした。指導員も、責任者もいない同好会だった。それからの私達は、文集作りやガリ版切りに没頭した。

 それから1ヶ月後、「ひろば」トいう文集を出した。そこには、社会や学校に対する矛盾や、友達関係の悩みが詰っていた。
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