アイメイト バーベリーとの出会い
(6)壊れない物って何だろう?

アイメイトとの暮らしも1年あまりが過ぎ、バーベリーも三歳の誕生日を迎えた。彼女は結構喜怒哀楽がはっきりしていたが、どんな時でも危険から私を守ってくれた。アイメイトは、視覚障害者の目の変わりだけでなく、見えないと言う「不安」の中から勇気を与えてくれる。日々の暮らしの中で、人には解らない「心の動揺」までも敏感に受けとめ、そしてすなおに答えてくれる。一人暮らしをしている者にとって、「アイメイトの存在は本当に大きい!」と言う。それは、単なるペットではなく、生活を共にするパートナー・そして自分そのものだ。悲しいとき・うれしいとき・・・など、全てのことを見ている。晴眼者にとって当たり前の暮らしが、失明してからの私にはできなかった。ふと、足を止めた店で暖かいパンを買い・友達とコーヒーを飲み、そして、子供の参観日に行き・郵便局へ立ち寄る・・・ことなど、人として・親としての当たり前の風景だ。こんな当たり前の暮らしが、「見えない」と言う現実の中では無視されることも多かったが、彼女のおかげで、少しずつ私の中に帰ってきた。私は、バーベリーとの暮らしに大きな夢をかけているわけではない。日々の暮らしが少しでもユタカで、そして自然でありたいと願い、彼女と共に自分自身に挑戦していきたいと思っている。 盲導犬は生活していく上での素晴らしいパートナーだが、わが国では、まだまだ盲導犬が不足しているため、珍しく興味本位で見られることも多い。 全国では数十万人の視覚障害者がいるが、それに対して盲導犬の実働数は、「八百頭にも満たない」のが現状だ。現に、我が宿毛市でもはじめての盲導犬のため、犬の種類やしぐさなどに注目され、盲導犬の仕事そのものと視覚障害者との関わりが無視されることも多い。 1年あまりアイメイトと暮らして、何がどう変わったのか解らないが、不安感が少なくなり「やればできることが多い!!」と言う確信がもてるようになってきた。それは、今まで苦手だった一人歩きのことだけでなく、人間関係・そして社会との関わり・・・などに自分の方から歩み寄ることができるようになってきた。 それら全てに、アイメイトがいつもそばにいてくれ、私のために多くの仕事をしてくれるからだ。 30代半ばで失明し、当時は、盲導犬歩行をすることなど想像もできなかった。視覚障害者の歩行手段として、主に、手引き歩行・白杖歩行、そして盲導犬歩行があるが、一言でどれが良いとは決めることはできない。人それぞれの考え方があるように、一人歩きの手段もそれぞれの立場で違ってくる。手引き歩行は、安全ではあるが、自分が好きな時間に自由に行動する事は難しい。白杖歩行は、それなりの訓練を受けていなければ、安全で確実に目的地に着くことは大変だと聞く。そして、盲導犬歩行は、安全性は高いが、病気やけがなどの健康状態にも気をつけなければならない上、毎日の手入れやコントロールがかかせない。視覚障害者の歩行手段は、それぞれのライフスタイル・外出回数などにより、本人自身が選択する事が多い。今日までアイメイトと暮らして感じることは、自由に外出ができるだけでなく、彼女を通していくつものつながりができるのも確かだ。アイメイトには、自分には見えない「不思議な力!」がある。私は時々、「幸せとはどんなことだろう?」・「壊れない物って何だろう?」と考えることがある。健康な者全てが幸せではないだろうし、障害を持っている者全てが不幸せでもない。大金をつぎ込んで作った物も、いつかは壊れて行くだろうし、深い愛をこめたお互いの絆も、やがては壊れてしまうのだろうか?最近、傷害を持って生きることは、不便ではあっても決して不幸ではないと思えるようになってきた 。失明した当時は、「世界中で一番不幸だ」と思っていた時期もあったり、「自分のことを可哀想にと思ってくれるだろうか」と考えたこともあった。それは、意志が弱いとか、努力が足りないと言うことではなく、どうしても現実を受け入れられない時期がある。人は、「どん底に落ちないと前向きな考え方ができない」と言うが、今になって「そのとおりだなあ」と思うようになってきた。 視覚障害者の一人歩きは、危険と背中合わせだが、自分の持っている感覚全てを使う真剣勝負だ。白杖を持っていたり・盲導犬を連れて困っていた時には、一言声をかけて欲しい。わが国で、最大の実績をもつアイメイト協会も、1996年10月10日、新施設「アイメイト協会・視覚障害者歩行訓練センター」として、視覚障害者の自立のための歩行訓練がくり返されている。「バーベリー、明日は講演会だ。よろしく頼むからな。」

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