砂漠化対策と聞くと、まずほとんどの人が植林を連想する。しかし、サヘル地域にはもともと果樹など限られた木を植える以外に、植林という考え方はなかった。放牧を中心とする草原地帯はいうまでもなく、農耕が可能な比較的に雨量の多い地域でもそうである。
フランスの植民地時代以降、森林局は貴重な天然資源としての樹木の保護には乗り出しても、官営の目的が限定された植林以外、国民の生活用の植林など眼中にはなかった。国民のほとんどを占める農民にもなかった。法的にもそういう向きではなかったのだ。
農耕や牧畜を行うだけの雨量はある。ジャングルとは違う。落葉樹が主体。開墾も楽だ。ただでさえ山のない地域である。火とわずかな農具と人力さえあれば、森林や原野を主食となる穀物やヨーロッパ向けの換金作物ピーナッツの畑に変えることは容易だった。人間は三十年たらずで倍という爆発的な増加率で増え続ける。農地はどんどん拡大された。
反対に樹木の数は少なくなる。落花生や穀物は一年周期で育てられても切った樹木はそうはいかない。生長するに時間がいる。ついには自然の回復力を人口圧が超える。そうして樹木が不足する段階にまで到達した。
その第一は薪だった。料理の煮炊きに枯れ枝を集めることに苦労しだした。農村でさえそうなった。そうして七〇年代、雨量が劇的にへった。大凶作が続いた。
旱魃で農村がやられると都市人口が増大する。薪がいる。炭がいる。しかも毎日、大量に。売って金にする者が出る。南方の国道沿いの天然林が都市に近い順に狙われた。合法的な伐採には許可がいる。正規の開発業者たちは認可のための費用を払う。けれども人里離れた保護地域では森林局の監視の目だって届きはしない。違法な伐採が横行する。天然林は荒廃する。さあ大変なことだ。国土が丸裸になるぞ。このままだとそう遠くもない将来、国土の大半が砂漠になる。
植林だ。薪炭材供給の植林だ。大消費地の都市住民の需要に応える、生活用の木材の生産が必要だ。しかし、国民の意識は?
農民たちには、木は切るもの、原野は開墾するものでこそあれ、木を植えて育てるだけの意識はない。技術的な基盤もない。年サイクルの農業になら従事できても、五年、十年という長い単位で考えて活動する植林などに、力を注げる余裕は物心ともにない。
植林するには金がかかる。苗木を生産するにも植え付けを行うにも、膨大な人力がかかる。苗畑などの設備もいる。水もいる。植林は外国からの援助なしになりたたない。これまで以上に取締りを強めろ。違法な伐採を許すな。町々の入り口には森林官が常駐しろ。そうして違法な薪炭材を摘発しろ。取締りで木を守れ。当初はそれが主流だった。
私が赴任した当時、さすがにもうその考え方は古びていた。必要があっておこる違反行為が取り締まりでおさまるものか。やはり主は植林であるべきだと。
しかし、私たちのプロジェクトの対象地域を統括するティエス州森林局長だったC氏は、この取締り中心派であった。植樹したってあてにはならない。育つやらどうやら分かりもしない苗木より今ある樹木を守るべきだと、公言する森林官はまだまだ少なからず居た。森林行政の見直しと樹木に対する国民、とりわけ農民たちの意識変革が問われていた。
そんな時期、どうやって彼らを巻き込み組織するかということ以外に、旧態依然たる発想の連中の牙からどうやってプロジェクトを守るのか、それも私の仕事だった。
とにかく、私たちがプロジェクトチームで村有林づくりの活動を中心とする砂漠化対策に参入した時期は、取締り保護の林政から植林中心のあり方へと移行し始めてまだ間もない。
|