砂漠化A

 西アフリカ・サヘル地域の農業は、サハラを越えてやってきたアラブ人が何世紀も前に見て書いた紀行文の内容と、今もほとんど全く同じであると言われている。特に主食となるミレット(ヒエの一種)に関しては、栽培の方法も道具もそっくりそのままであると。
 畦も仕切りもない野原そのままの大地に、雨期になって適当な湿りがくれば、粗末な鍬でひとえぐりずつ穴をあける。四十センチから五十センチくらいの間隔で、ポンポンポンポン打っていくのだ。その後から女性が種を一つまみずつ播いて、足で土を軽くかける。
 生長が始まったら適当に株を間引く。二回ほど除草をする。それも長く細い柄の先に薄い鉄板でできた小さなハート形の刃がついた、簡単粗末この上ない道具を使うだけである。
肥料はやらない。乾期、収穫が終わった後、ミレットの残りかすを食べに北の草原地帯や高台のやせ地から下りてくる家畜が畑に落とす糞と、食べ残しの茎があるだけ。粗放的と言ってもこれ以上粗放的な農業はまずない。水は天からもらい水、五木の子守唄ならツンツンツバキである。しかし、この地域では主食となる穀物をそうやって栽培する。
だったら楽なものだろう?これがなかなかそうではない。すべて人力、体力勝負。便利な道具は一切ない。特に除草はとてつもない。簡単粗末な農具ひとつで、日がな一日、育ち始めたミレットの株間の雑草を削る作業は重労働である。並み大抵の体力と根気で務まるものではない。うろうろしてたら次が生える。限られた期間に広い土地を使おうと思ったら、そうして少しでも多くの収穫を上げようと思ったら、人数の勝負になる。だから大家族を好む。家は泥をこねて固めた日干し煉瓦を積んでつくる。簡単なものだ。
この原始的とも言える農法、それで彼らは生きてきた。家畜を扱う遊牧民と持ちつ持たれつ、農地がやせれば原野を拓き、やせた農地は休耕して藪にする。それを適度な周期で繰り返す。人口もまだ少なく降雨が順調な間はそれで十分通用した。
翌年の種を残して一年食べる。売れるだけの余裕はない。あっても高がしれたものだ。乾期には水の得られる場所を選んで野菜を作る。出稼ぎに町へ行く。わずかばかりの収入にしかならなくても現金になる仕事をする。天候が順調ならそれで何とかやっていける。
しかし、人口が増えてもはや拓ける原野も休耕に回せる余裕も乏しくなった。肥料はやらない。化成肥料を買う金などハナからない。そんな考えすらもない。土地はやせる。単位面積あたりの収量も昔ほどではなくなった。旱魃に襲われでもしたら、もはや飢餓に一直線の脆い危ない農法なのだ。
彼らの農業のやり方を見ていると、私だって考え込む。なぜ、あんなにも苦労して重労働に甘んじなくてはならないのか。なぜ、もっと工夫して少しでも楽な方法、少しでも効率のよい方法を考えようとしないのか。自然の脆さと人間の脆さとが一体となる不安定、貧困。人間がそんな不安定さや貧しさに適応していていいものなのだろうか、、、と。
イタリアのNGOの女性たちとニジェールで知り合った。南イタリア、シシリー島出身の彼女が私にこう語った。「イタリア南部の農村の貧しさといったらない。けれども、ここはそれ以上。とても比較にもならない。今もなおこんな所があるなんて、思ってさえもみなかった」と。それが比較的降雨量の多いニジェール南部の農村でのことである。
彼女たちは、砂丘固定の植林や薪の消費量を抑える泥作りの「かまど」の設置指導など、私たちのプロジェクトと同様の住民志向の強い活動を行っていた。
サヘル地域の農民たちは、しかし、それで今まで生きてきた。これまで何世紀もの間、断固としてその農法を守り続けて生きてきたのだ。楽をする、得をする、効率よく価値を高める、文明社会の原点とも言うものを、悪徳として拒み続けているみたいに、、、。

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