教えるな

モロッコの首都緑化事業所には、私のほかに二名、ロシア人のマダムとまだ若手のモロッコ人の園芸家、都合三名がアンジェニュール(技師)として所属していた。
公園や中央分離帯などあれこれの場所の緑化を行うためには、まず第一に測量を行わなくてはならない。聞けばその若手の園芸家であるハッサンは巻尺で大体の長さを測り、土地の輪郭を見ただけで、言うならばいい加減な図面をもとに設計をしていると言う。測量を習いたい、ぜひとも教えてほしいと言う。ならば、これなら簡単だから、、、と平版とアリダードというシンプルな道具で行う平板測量のやり方を教えてやることにした。
彼は後にパリ近郊ヴェルサイユの園芸学校に留学することになるのだが、非常に教えにくい相手であった。何がと言うと、彼は私のやること、示すこと、何でも「ジュセ」「ジュセ」(知っている)。教える側からするならば、印象が悪いことこの上ない。
「分かりました」とか「そうですか」なら別の言い方があるはずだ。「知っている」ならやってみろ、、、と言いたくなるのをこらえて、彼の癖なのだろうと極力気にかけないようには努めたが、やはりその応答にはイライラした。
しかし、それもすぐにダメになった。所長のNさんが邪魔をした。
私たちが、ハッサンが担当することになっている小さな公園の空き地で、平板測量の指導をかねて作業を行っている最中に、N所長が飛んできた。そうして、すぐに作業を中止して事務所に帰れと言い出したのだ。それは物すごい剣幕だった。もう少しで終わるから、、、と私が言っても聞き入れなかった。折角の技術移転の良いチャンスではないのか。
事務所で説明を求めた。N所長は最初、アンジェニュール(技師)二人が同じ現場にかかわる必要などないと答えた。納得がいかない。ハッサンに測量のやり方を教えていたのだと言うと、教えるのならハッサンではなしに、別の人間にしろと言う。現場では役に立たない事務職員の名前ばかりが口から出る。納得できる話ではない。
彼は続けた。「教えるのなら金をとれ。技術は金を払って教わるものだ。ただで教えてはならない。」どうしてだ。緑化事業所の技師の技術が上がることは、所長にとっても嬉しいことではないのか。職員がこれまで以上に良い仕事ができるようになるなら、結果的には事業所の評価が上がることになり、それが所長の評価にも反映されることになるのではないのか。所長が職員の技術力の向上にやきもち焼いてどうなるのだ。
最後の最後、彼は言った。「俺はこの国の人間を知っている。お前は知らないだろうけれども、この国の人間がどれだけ後で威張りだすか。測量ならすべて分かりぬいている。むしろ自分がムッシュー・ヤマトに教えたのだ、、、と、そんな話になりかねない。それがこの国の人間なのだぞ。」私はあきれてものも言えなくなってしまった。チームワークなど到底望むべくもない話だ。こんな職場でどうやって技術移転を図れば良いのだ。
ある時、所長が私を呼びに現場まで来た。それが引きつった表情をしている。見れば彼の運転する車の後部座席にはハッサンが坐っていた。私にはすぐにピンと来た。現場の労働者からたたき上げて抜擢されたN所長と、大学の園芸科出身の学士であるハッサンと。所長はその「若造」にただの運転手並み、格下扱いされたのだ。後部座席をすすめるハッサンを無視して私は、当然、所長の隣、助手席に坐った。それでやっと彼の顔がなごんだ。
セネガルやニジェールの職場では、モロッコで感じたほどの違和感はなかった。しかし、管理職にある者が部下に対して技術の向上の機会を与えると共に、職場や組織全体のレベルアップを図ることが当然のこととして認識され、一人の習得した技術や知識を全体で分かち合えるそんな社会ばかりでは、残念ながら、ないのである。

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