樹木のもつ様々な役割や機能をどのように評価し活用するのか、また出来るのかは、サヘル地域においても大きな課題となっている。
林や原野を切り開いて農耕地の拡大を行うことが、精霊や猛獣の支配する未開の地を人間の支配下に置くことになる、いわゆる「進歩」であった時代は、もはや過去のこととなった。現在は天然林に代わる人為的な林の形成や樹木の導入・活用が問題となっている。自分たちの生活の中に、まわりに、どのように「人工の自然」を組み入れていくかという、そんな時代になっているのだ。
商品としての木材の生産と開発を目的とした「産業型植林」は、早くから、特に砂漠化が問題となってきた七十年代の後半から、国連や先進国の資本・技術によってサヘル地域の各国で試みられてきた。木材の大消費地である都市の近くに大規模なユーカリの林をつくる。生長が早く、六、七年で伐採ができ、しかも切り株からひとりでに芽を吹いて更新するユーカリは、この地域の救世主となるはずだった。しかし、今、その評価は低い。色々な要因がかみあって、外来・速成樹種であるユーカリ林の評価を下げてしまっている。
あれこれの紆余曲折、試行錯誤のその中で、人々、特に農民や遊牧民を対象とした、生活に密着した形での「社会型植林」が、今や主力となってきた。農業ならびに牧畜の中に、林業、樹木を組み合わせて、より有機的で強靭な生産・生活環境を作ろうとする試み。農(アグリカルチャー)と林(フォレストリー)を組み合わせて作られた合成語「アグロ・フォレストリー」という単語が、現在では主要なキーワードとなっているのである。
と書くと、読者はこの言葉を何か特殊な高度な意味をもつものとして錯覚をおこすかも知れない。しかし、それは決してややこしいことではない。我々日本人からみれば、昔から採用され定着していた土地利用の形態の一種でしかないのだ。
家庭菜園を考えてほしい。さして広くもない住宅の庭の中に、丈の低いパセリやネギ、大根、紫蘇、ミョウガ、中くらいな背のトマト、高くのびるトウモロコシ、柿の木、ヤマモモ、いちじく、みかん、挙句の果ては軒先にはうキウイ、、、何種類の植物があるか。
高知市に住む友人。その彼の自慢の庭。最初は私もあきれ返った。よくもこれだけ狭い場所に、何もかにも詰め込んだものだ、、、と。本人は悦に入って得意顔でも、ただのずぼらだと思った。もっとスキッとしたらどうだ、、、と。しかし、またその半面で、これはまさしく「アグロフォレストリー」そのものだとも思った。
他者の侵入を防ぎ防風の効果をもつ生垣。有用な果実をもたらし、樹下の土壌や植物をたたきつける強い雨や風から守る果樹。落ち葉は肥料にも使える。今でこそ切ったら処分に頭を痛める。けれども、昔ならその枝で火をおこした。柿の葉は夏の「あせも」予防のために風呂にいれた。他の木だって今は知らない薬用効果があるはずなのだ。
高々、地下二十センチかそこら、地上でも精々が二メートル、そんな薄っぺら平面的な土地利用ではなしに、様々な恩恵をもたらす樹木と組み合わせて使えば、サヘルの農地はもっともっと豊かになる。空間を平面ではなしに立体として使う。地下も地上もこれまで以上に深く高く利用するのだ。そうして環境を整え、生態系の再編を行うのだ。
家畜の飼料になる葉っぱ、燃料に使える枝、空気中の窒素を固定し肥培効果のある根っこ。地中深くの水分と養分とを吸い上げて、人間の利用が可能な地上にもたらす樹木の農耕への取り込み。勿論、どんな木でもよいというわけではない。そこには様々な知恵がいる。その効果が農民や遊牧民に自覚できるようになるまでには、少しばかり時間もいる。
仕切りも防風林もない野原同然の農地に、アグロフォレストリーの概念が挑んでいる。
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