Cさん、、、州森林局長A

私の方針は決まっていた。徹底低姿勢で行くと。そうして相手の出方を見る。
しかし、フランス語で気の利いた謝罪の文句を並べられるだけの語学力など、あるはずもなかった。だから態度と表情でこっちの思いを伝える以外にない。すべてはその上でのことだ、、、と。
C局長は局長官舎の応接間で私たちを迎えた。
しかし、それはまったく拍子抜けする態度だった。あってはならないことが起こった、まことに申し訳ないことをした、どう謝ってよいものやら、、、と、頭を下げ途切れ途切れに話す私に、彼は、いや、私の方もどうかしていた、まったく大人気のないことをした、あのことは忘れてくれ、父親が子どもを見る目で彼らのことは見ていくつもりだ、貴方にわざわざ来てもらう必要なんかなかったのに、、、と、こっち以上の低姿勢を示したのだ。
わたしは内心、狼狽した。誰かが、すでに教えたのだ。外堀が埋まっている、用心しろ、
もしもお前が、あいつを相手に憤懣をぶちまけて、強硬姿勢を見せたりしたら大変だぞ、プロジェクトを追い出す以前に、お前の首が飛んでしまう、、、と。
 D隊員とC局長を握手させた後、話題を世間話に切りかえて極力冷静を装いはしながらも、私は複雑な気分だった。ダカールで植林局長のNさんに相談した。そうして根回しをしてかかった。だから彼は低姿勢で応じた。森林官のDさんに示したという姿勢とは正反対、まったく逆の対応だった。しかし、その分、彼の無念が心にしみた。
 自分の子ども、ひょっとしたらそれ以下かもしれないような若造に、無礼極まりない態度で臨まれ、その上に手まで出されて、何も言えない、何の報復も処分もできないその無念。私には、封じ込めに成功した一種の達成感よりも、後味の悪さの方が強く残った。
私は、この事件をきっかけに、プロジェクトの本拠を州森林局の建物から二キロほど離れた州営の苗畑に変更するよう決定した。このままでは危険すぎると思ったのだ。
使命感が先行する援助側のボランティアと、現地政府の職員、とりわけ職制のトップに君臨する人物との間には大きなギャップが、とかくつきまといかねない。局長はプロジェクトをその持てる車両や資機材、人員までも含めて自分の支配下にあるものと考える。ボランティアは、この連中がろくでもないから、この国の農民たちが苦しむのだと反発する。
 そんな中でプロジェクトを動かしていくためには、それなりの手練手管も工夫も必要なのである。技術移転を目的とする国際協力のあり方からすれば、現地側の職制を尊重し活用しながら、共に進んでいくことが理想である。しかし、その時、プロジェクトそのものが、金持ちのくせに何とけちな連中なのだと、反発を買う危険性に直面する。何よりも、持てる援助者側とボロ車さえ思うに任せぬ現地側との、物、特に車両を巡っての攻防、確執に陥る。セネガルのプロジェクトでは常にそれがつきまとった。
C局長と私との関係はそれ以降も変わりはなかった。彼は夜間、自ら単独行動での木材の取締りを好んだ。時折、森林局の中庭に没収された薪が山と積まれていた。森林官のDさんは、昨夜は捕まえた相手から目こぼし料をもらえなかったんだろ、、、と、笑った。
C局長が若い愛人とカナリー諸島へ不倫旅行、、、と噂が流れた。包めば現る、世のならい。おっさん、なかなか、やりなさるなと、それ自体は高く買った。しかし、その後が悲惨だった。転勤が決まった後の送別会の席で、感極まって泣く彼にあびせられた本妻の悪態、野次、嫌悪感あらわなトゲいっぱいの冷たい視線。今もまだ覚えている。
C局長は閑職に追いやられた。新任の局長は「あんたがいる間はプロジェクトには手をだせない。Cの二の舞はごめんだ。しかし、あんたが居なくなったら別だぞ。」と笑った。

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