敗者の群像(その1)

長雨が約一ヶ月も降り続いたのが、八月十五日になってようやく雨は止み、久しぶりに青空がいっぱいに広がり、真夏の強い日ざしが雨上がりの大地に照りつけている。その日は一九四五年八月十五日、日本が戦争に敗れた日である。私は当時、旧満州国北安省慶安県不二(現在の中国東北地方)の義勇隊開拓団で終戦を迎えたのである。だが辺地な山奥のこととて、終戦を知るよしもなかった。ちょうどその日は二十歳組の隊員に召集令状がきて、出征をする日であった。

約二十名くらいの団員が出ていくので、残りの僅かのもの達が名残り惜しんで送ってくれた。開拓団から約三十キロ南に出たところに満鉄の小さな無人駅がある。そこから汽車に乗り一時間余り走ったところで、慶安県の中心地である慶安の駅に下りた。

一行がホームにでてみると、その附近にいる満人のようすがおかしい。何だか今までとなら態度が大きい。変だなあと感じながら駅の待合室を出ようとした時、一人の満人が自分達の前に立ちふさがって大声で「リーペンレン、スーラ(日本人は死ね)。」と両手をふって叫んでいる。「どうしたんだ!」「おまえ達日本人は戦争に負けたのだ。これからは俺たちがジャングイ(主人)だ。」なに!日本が戦争に負けた!まさか・・・。  その場の雰囲気から見ても嘘でもなさそうである。まさか日本が戦争に負けるとは、考えもしなかった事なのである。

町のなかにある団の出張所へ急いだ。所長が顔色を変えて我々を待っていた。満人のいっていたとおり、日本は戦争に敗れたことが所長の知らせでようやく解り納得した。アメリカ軍の空襲一つ知らないで、明けてもくれても開拓に励んでいた自分達には、余りにも強烈な青天の霹靂であった。

さて、これから我々はどうなる、目の前が真っ暗になった。敵の国で戦争に負けた国民が受ける屈辱、略奪、迫害、筆舌につくしがたい苦難のみちを歩きはじめるのである。

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