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モロッコもセネガルも、そしてまたニジェールも、いずれもイスラムを国教とする国である。とは言え、やはり間にサハラ砂漠が挟まっているだけあって、アラブ圏に属する北のモロッコと黒人のブラックアフリカに分類されるセネガル、ニジェールの間には、同じイスラムでも相当の違いがあるとされている。しかし、どんな違いがあるにせよ、いずれの国の教えも、飲酒を禁じていることについては変わりはない。

 だから、これらの国々にはお酒は一切ない、、、かと言うとさにあらず。モロッコはワインの立派な生産国であるし、セネガルにもニジェールにもビールの工場が存在する。確かに町の「食堂」などではワインもビールもご法度で、お客に供することはできない。しかし、「レストラン」や「バー」でなら、ラマダン中などで特別なお触れが出たりしないかぎり、まず、問題なしにありつくことが可能である。当然、先進国をまねた近代的なスーパーマーケットなどには、アルコール類をズラッと並べたコーナーがあるし、町なかには個人経営の小売店も存在する。

私たちはイスラム教徒でもないし、外国人ということもあって、それらの店でワインを買おうがウイスキーを買おうが、まったく気にすることはない。別段、周囲を意識するなどという必要そのものがないのである。しかし、彼ら、イスラム教徒たちとなると、そうはいかない。我々みたいに、あっけらかんとはいかないのだ。

禁止されればハイ分かりました、一切、口にいたしません、、、と、そんな殊勝な人間ばかりなら苦労はない。これらイスラムの国々でも、禁止されても飲む人間、禁止されるから飲む人間、実は、、、居る、少数なら、、、ちらほらと、、、ある程度、、、かなりな数。その彼ら、やはり、自分で酒屋で買うとなると、相当に緊張する。本来、まじめなご仁なら手出しをしないご禁制のワインやウィスキーともなると、コーラやファンタを買うようなわけにはいかない。たとえお店は酒類の販売を合法的に認められていてもである。

売り手のほうもそこは心得たもので、アルコール類に限ってボトルを古新聞でササッと巻いてわたすのである。あれならそれとすぐにバレる、、、そう思うのは、あながち私だけではないと見えて、たとえ紙で包んであっても、彼らはすぐに上着の下や買い物袋の中に隠す。

モロッコでは、首都緑化事業所にいた当時、時々、お祝いごとか何かで職場内の皆がちょっとした宴会を開いたりするようなときに、私に、ワインを代わりに買って来てくれと頼みに来る職員がいた。事業所の倉庫の管理人だった。物腰低く申し訳なさそうに切り出す相手に、自分で買いに行け、、、と、突き放すのは可哀そうでもあったし、そうしょっちゅうというわけでもないので、ああ、いいよ、、、と、気楽に引き受けるのが常だった。

その彼が、私の帰国が間近に迫ったある日、問題になっていると所長のNさんから聞いた。半分アル中状態で、毎晩、カミさんに暴力をふるうために、離婚の訴訟がなされている、、、と。見返した私に彼は力なく首を振った。もう手おくれだ、カミさんとの関係がもとにもどる可能性はない、、、と。酒に飲まれたんだ、、、と。

イスラムの国では、たとえそれが親切に見えても、お酒を代わりに買ってやったりしてはいけない。たとえ、量的には、それがそれ自体ではアル中に結びつくほどのものでなどなかったとしても、やはり後味の悪い結果をまねくことになりかねないのである。

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