サヘル、、、と聞いて、ああ、あの、、、と、ピンとくる日本人は、今でもなお、そう多くはないに違いない。
アラビア語で「波打ち際」を意味しているこの単語について、最近は、「広辞苑第5版」を含めて、どの国語辞典をみても、少なくともその項目がある限りは、「サハラ砂漠の南に東西に広がる帯状の草原地帯をさす」とされている。そうして中には、砂漠化の問題について触れているものもある。
ところが私が砂漠化対策を目的としたプロジェクトのために、村落植林計画の専門家としてJICA(現:国際協力機構)から、そのサヘル地域の国であるセネガルに派遣された当時(1986年)には、日本の辞典に「サヘル」の項目などなかった。現に、1991年11月時点での「広辞苑第4版」には、まだ、「サヘル」の語は掲載されていなかった。一方、辛うじてSAHELを見つけたフランス語の辞典には、まったく別の意味が記されてあった。
1987年5月初版の大修館書店「新スタンダード仏和辞典」には、「北アフリカの沿海地」「砂漠と沿海地の中間地帯」などと記述されていて、サヘルは、サハラの南側よりむしろ北側、地中海の沿岸地域という印象を強く受ける。フランスで1980年に発行された「HACHETTEフランス語辞典」では、さすがに西アフリカのほとんどを植民地としていたお国だけあって、1.北アフリカの沿岸地帯 2.サハラの南の草原地帯の二つの説明がなされている。しかし、ここでも、やはり北アフリカが先にくる。
したがって、私が、砂漠化に苦しむサハラ砂漠の南側、「サヘル」地域のセネガルで生活し活動を行いながら、最初の2年間ばかりは、もう一方の「サヘル」、北アフリカの沿岸地帯という意味に縛られて、何とも言えない違和感から、あえて「サヘル」という語を自分自身では使おうとしなかったのも、無理のないことだったと言えよう。
こうした辞典での例からも分かるように、西アフリカ、サハラ砂漠の周辺には、2つの「サヘル」、つまりアラブ人たちの言う「波打ち際が」あることが分かる。それは北アフリカの沿岸部、地中海の青い海の「波打ち際」と、サハラ砂漠の南側、褐色の砂の「波打ち際」の2つである。そうして現在では、以前はまったくと言ってよいくらい日本人の意識にのぼることのなかった「南のサヘル」が、「北のサヘル」を追放してしまったかのような感じがする。
南のサヘル、セネガルとニジェールで、砂漠化対策のためのプロジェクトに参加する前、私は北アフリカのモロッコで活動した。そうして、サハラ砂漠の北と南で通産12年半にわたって国際協力に従事したことになる。
砂漠は海、ラクダは船、、、とはよく言われる言葉である。砂漠を茫洋とした海に見たてるそのときに、ラクダが船なら、その砂の海の「波打ち際」とは何なのか。どんな波が寄せるというのか、どのような潮の満ち干があるというのか。北と南、それぞれの「サヘル」について、これからしばらく、思いだすまま書き綴ってみようと思う。
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