講演会の中から
自分発見をしよう

次は、自分についてのお話をします。
みんなは、自分のことが好きかな?。急に言われても分からないよね。
私は、10年と少し前に完全に目が見えなくなりました。
完全に見えなくなったと言っても真っ暗がりではなくて、みんなが軽く目を閉じて、天井などの証明を見た時の感じに似ています。
真っ暗じゃないけど、その証明の下で何かを見るということはできません。
病名は難しいから分からないと思うけど、簡単に言えば、網膜が悪い網網膜症です。
その時、目が見えなくなった自分のことがとてもいやでした。

私の目は、急に見えなくなったのではなくて、少しずつ目の前の風景が消えてなくなりました。
目の前のふうけいって、みんなには分かるかな?。

最初、目が悪くなって来ているんじゃないかと気がついた時にはとても怖くて、毎日、今日はあの家がみえるだろうか、電柱は見えるだろうか、、庭先のコスモスはどうかな・・・・など、朝が来るのがとても怖かったです。

それから2年が経ち、新聞も教科書も、テレビも見えなくなり、自分の子どもの顔が全然見えなくなった時、これは本当なんだと、実感しました。

けど、その時私には二人の子どもがいました。
今になってその時のことを思い出してみると、子どもたちが私に元気をくれたような気がします。

このお話は小学生のみんなには、まだ難しくて分からないと思うけど、私の好きな作家の本の中に、「人はどんそこにおちない都、本当の力はわいて来ない。」
という所があります。
その時、私は本当にそうだなと実感しました。

目が全然見えなくなった時には、とてもショックだと言ったけど、本当はホットしました。
目が見えなくなってホットしたという気持ちは、今のみんなには想像できないと思うけど、明日は隣の家が見えているだろうか、まだ、子どもの顔が見えるだろうか・・・という時期の気持ちが、とても怖かったからです。
目が全然見えなくなれば、これ以上悪くなることはないよね。だから、ホットしたんだと思います。

そう、それからの私は、「よし、自分で1ッぽを踏み出してやるんだ。」という気持ちが出て来ました。
目が全然見えない生活は、ここでお話できるほど簡単な事ではなかったけど、点字を覚えたり、パソコンを覚えたり、そして、アイメイト・バーベリーとの出会いが、私に大きな勇気をくれたような気がしています。

これからのお話は、低学年のみんなには難しいと思うけど、上級生のみんなにお話します。
目が全然見えなくなったことを失明と言います。
失明した時には、どうして生きて行けば良いのか分からず、もう死んでしまいたいなと思ったこともあったし、目が悪くなっては、私も終わりだなと思ったこともありました。

けど、それは本当に死んでしまいたいと思ったりもう自分も終りだなと思ったのではなくて、その現実にどうして生きて行けばいいのか分からなかったのだと思います。

失明してから今日までのことをいろいろ思い出してみると、私は少しずつ自分が嫌いではなくなっていたことに気がつきました。
それはどうしてかと言うと、失明した頃は、目が見える人と比べてばっかりいたからだと思います。
目が見えないといろいろなことをするのにも時間がかかったり、いくら努力をしてもできないこともたくさんあります。
だから、いろいろなことができない自分が、とてもいやだったのだと思います。

それと、自分の苦手な所に拘っていたのだと思います。

みんなも、自分の苦手なところやことがあるよね?。
お友達と比べて、背が低いとか、算数が苦手だとか・・・・。
誰にも、苦手なところがあると思うんだよね。
どう、みんなはそれに拘っていないかな?。
私は、目が見えないことに恥ずかしさを感じていた時がありました。
けど、今は障害を持って生きて行く事は恥ずかしいことではないなと思うようになりました。
それはどうしてかと言うと、自分でどんなに努力や工夫をしても、今の医学や私の力では、私の目を治すことができないからです。

それより、人として恥ずかしいことではナいかなと思うことは、いっつもお友達を仲間はずれにしたり、いっつも怠けたり、嘘をついたり、お友達を叩いたりすることの方が、障害を持って生きると言う事より、ずっと恥ずかしいことではないかなと思うからです。
お友達と仲良くしよう、嘘をつかないようにしよう・・・ということは、自分で努力や工夫をすれば直せることだよね。
それを直そうとしないで生きていく事のほうが、障害を持って生きている人より、人としてとても恥ずかしいことじゃないかなとおもうようになりました。

先ほどのお話の中に、自分の苦手な事ばかりを気にしていたんだというお話をしたよね。
そのことについて、みんなはこう思うことができないかな?。
自分は算数の計算は苦手だけど、文章問題は得意なんだよなとか、歌は下手だけど、楽器は得意だよなとか、走るのは遅いけど、鉄棒は結構できるんだよな・・・・というふうにに考えることはできないかな?。
そう思うことができれば、音楽の時間がいっつもつまらないのではなくて、自分は楽器ができるんだから、今度はちょっと歌の練習をしてみようかなとか、算数の計算、ちょっと勉強してみるかという気持ちになれると思うよ。
そうしたら、苦手だった歌の時間も、算数の時間も、体育の時間・・・も、よし苦手なことも頑張ろうという気持ちも出て来るだろうし、自分の得意な部分探しができて、いろいろなことが楽しくなると思うんだよね。

私も、今は目が見えないことに拘るのではなくて、悪いところは目だけなんだなと思えるようになりました。
よし、だったら耳で聞いて、体で感じて・・・、これからもいろいろなことにチャレンジするぞという気持ちが沸いてきました。
 それから、あと1つ、みんなに聞いて欲しいことがあります。
それは、自分探しをする時に、回りの人やお友達と比べ過ぎないで欲しいです。
それはどうしてかというと、回りと比べてばかりいては、自分のことが分からなくなるからです。

例えば、自分はどれだけ勉強しても、苦手な算数の計算テストが50点しか取れなかったとします。
けど、今度のテストでは、死に物狂いで必死に勉強して、はじめて80点がとれました。
けど、クラスの平均点は85点でした。
みんなは、自分のテストのことどう思う?。
そうだよね、答えは2つに分かれるよね。
クラス平均は85点だったけど、はじめて80点取れたことが、とてもうれしいと思う人と、自分はいくら頑張ってもいつも平均点以下のだめな自分だと思うかのどちらかだよね。
はじめて80点とれたことがうれしいなと思う人は、自分探しが上手だと思うよ。
自分はいつも平均点も取れないだめなやつだと思う人は、回りと比べていて、自分探しが下手な人じゃないかと思うよ。
やっぱり、頑張れた自分を発見できると、これからの自分に大きな勇気や自信をくれると思っています。
そう、たまには自分探しをしたり、頑張れた自分を知ることも、とても大切だと思っています。

今日は人権参観日だそうですが、私も人権について考えたりすることがあるけど、なかなか難しいなと思います。
人権って、人の権利と書くけど、どういう意味なのかな?。小学生のみんなには、まだ、ちょっと難しいよね。
私にも、良い考えが浮かんできません。

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