父の人生

 70年の父の人生を考えてみたとき、それは幸せな一生だったのだろうか?

祖父は宮大工で、全国を回って行く飛び職人だった。阪神地方で仕事をしているとき祖母と出会い、奈良に拠点を構え、5人の子どもが産まれたが、長男だった父は、小学校に上がるときに曾祖母に連れ戻された。

父は両親のそばで暮らしたのは、わずか5年で後は気の強い曾祖母に育てられた。実家に連れ戻された父は、幼くして両親と離れ本当に寂しかったのではないかと思う。

 若い頃の父の話はほとんど知らないけど、アウリンの記憶の中にあるのは3.4歳過ぎてからのことしか分からない。記憶の中に一番古いものとして、夫婦で土木作業しながら農業もしていたことから始まる。

アウリンには3つずつ違う2人の弟がいる。次男は小学校に上がるまで、母の姉の子どもになっていた。子どもになっていたといっても養子になったというわけでなく、おばには子どもがいなかったので、そこで育てられ、時々家に帰るということを繰り返していた。それを考えると、次男もまた、母親との生活が短く、小学時代だけだった。

 父は次男が小学校に上がったとき、ガスの自営業を始め、母も工場に働きに出るようになった上に、休みや朝夕を利用して米作りもしていたので、学童期にはそれなりの暮らしができるようになり、いろいろな習い事もさせてもらった。反面、気の強い曾祖母に「長男だから」と言ってこき使われた弟は、酒が入ると「お姉はお姫様で俺は、ばあさんの子分やった。」と未だに話すことがある。

 実家は祖父母が奈良で家庭を持っていたので全ての権限は曾祖母にあり、母も曾祖母に使えて苦労した時期もあり、一時期別居していたときもあった。そのときにも長男だけは連れて行ってもらえず、曾祖母と暮らしていた。

アウリンが中学生になったとき、父に「ピアノを買って欲しい」と頼むと、「そんなものはこの家には置けん」と言って買ってくれなかったのが、ある日、当時としてはかなり高価な真空管のエレクトーンを買ってきた。それには理由があり、父はある宗教を熱心に信仰していて、その宗教に関するテーマ曲のようなものを弾いて欲しくて買ってきたのだった。エレクトーンはピアノとは違い、いろいろな演奏ができるので、今でいうカラオケを作って、宗教の集まりの時にはそれをかけて歌うことが目的だった。

 両親は正反対の性格で、父は温和で口数も少ない人だったけど、母は、とにかくにぎやかなことが好きで、自らも花道や茶道、舞踊・・・・など、下手の横好きであれこれとやっていた。父の唯一の楽しみはパチンコで、景品にチョコレートやキャラメルなどをもらってきては、もみを入れる「挿し板」というもみ蔵に隠しては、母にばれないようにしていた。それを取りに行くのがとても楽しみで、父が帰ると挿し板をのぞいたことだった。父は母にばれないように隠していたつもりだっただろうけど、母も見て見ぬ不利をしていたのではないかと思う。

 父が44歳のときに母が突然他界した。そのときの父は、病室の窓から外を見ながら、「お母も死んだか」と抜け柄のようになっていた。母はわずか40年の人生で、きれいなままで天に召された。突然連れ合いをなくした父は、しばらくの間ため息ばかりの日々を送っていた。

 何年たった頃だっただろうか、次男が「親父もパチンコでも魚釣りでもまた始めたらどうぞ。」とたきつけてしまい、それからの父は、パチンコとつり三昧になってしまった。連れ合いをなくして27年の間、男手1つで子どもを育て、結婚するときには、嫁入り道具を箸の1本から全ての物を持たせてくれた。

 父は「人よしもばかの内」と言われるほど人の良い性格で、それが歯がゆく、なおかつ腹が立ったこともあった。財産の大半を母の兄弟に取られ、部落の人には「神様みたいな人」と言われるほど奉仕していた。

母が亡くなったときに葬儀をするために家の片づけをしながら貴重品をカギのかかる部屋に移した。ふと、一番上にあった通調を見たら、驚くほどの金額が記帳されていた。父はあれほどあった貯えをパチンコと人のために使い果たし、晩年は同居していた長男に小遣いをもらうときもあったと、長男から後で聞いたことだった。田畑は売りつくし、貯えも惜しげもなく人のために使い、わずかの年金暮らしをしいられた父に、「本当にばかな人よ」とさえ思い、父に誤記を強めたこともあった。

 母が亡くなって3年後に結婚したので、それからの父の人生のことはあまり詳しくは知らず、最近義妹とカラオケ喫茶に行くようになり、父に彼女ができ、再々カラオケに行っていたという話を聞き、父にもそんな人がいて良かったなと思う。それが不思議なことで、父の彼女だった人が、今アウリンたちと同じ店で一緒に歌っているから、これまた人の世のつながりを感じてしまう。

  今となっては父が幸せだったかどうかは本人しか分からないけど、父の人生は、身内との縁が薄い人だったなと思うことと、母の兄弟や人のために自分の財産をを惜しげもなくささげた、本当に神様のような生き方ではなかったかと思っている。

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