交流会のお話・憤慨したこと

ある日の、音訳サークルとの交流会のこと。その日は、音訳ボランティアと私達視覚障害者との初めての交流会だった。気を使ったサークルの会長さんが、たがいの親睦を深めるために手遊びの先生を連れてきた。私達は視覚障害者だから、手遊びならできると思ったのだ。

その先生は、地域の老人クラブのレクを担当しているらしく、さも自信ありげに手遊びを始めた。それは、平均年齢を50も超えている男性方にはどうもしっくりくるはずもなかった。私達中年の女性にとっても、てれくさくてやってられないくらいだった。まして、中年の男性が、「お星さまきらきら、お空にお花を咲かせましょう・・・。」なんて、まともに楽しめるはずもなかった。その上、私達は視覚障害者だ。相手の動きを見て、あれこれとまねができるはずもなく、最初からしらけぎみだった。 それに気づかない手遊びの先生は、なんと突然私達に説教を始めた。「ほら、この人は手がぶきようだし、この人なんか足がまちがっているし、あそこの人なんか頭の上できれいにお花を咲かせられない・・・。」と、わけの分からないことを言い出した。それでも私達は、手遊びの先生の言うままに黙って遊戯をしていたが、とうとう視覚障害の男性が切れた。彼はその先生に、「ふざけるな。」と言ってつかみかかったのだ。彼は、手遊びの先生の人を嘲笑うような態度が許せなかったのだ。

その先生の考え方と言うのは、人それぞれに不自由なところや苦手なことがある。君達障害者だけ目が見えないくらいで大騒ぎするなと言うことだ。重度の障害と、ただ手足が少しぶきようなのが、果たして不自由さは同じことだろうか。その日のことは、彼だけでなく視覚障害者全員がやりきれない気持ちだった。しかも、その手遊びの先生は小学校の校長上がりだと言うのだ。

私達は、障害があるからと言って、「ギャーギャー」騒いでいるわけでもないし、かと言って、小さくなって生きているわけでもない。ただ、見えないという不便さを少しでも知って欲しいだけなのだ。それを、「君達は騒ぎ過ぎだ。」と頭ごなしに言われると、「教育者ってその程度・・・。」

それからの交流会はもうご想像の通りで、きたんのない意見など出るはずもなく、うわべだけの話しばかりでドット疲れたわけの分からない1日だった。

その交流会の様子を、私は親しくしている知り合いに話した。私は、彼女だったら、「本当にひどい話しね。」と言うものだと思っていた。所が、彼女の言ったことは、「あなた達障害者は、どうせ人のお世話にならないと生きていけないのだから、少しは遠慮してひかえめに小さくなっているのが当然じゃない。人権か何か知らないけれど、健常者と同じような生活をしたいなんて考えがあまいんじゃない。」だった。日頃は、さも障害者のことが理解できているような態度で接していたが、正直な気持ちは、私の出過ぎた態度になまいきさを感じていたのだった。

このような考え方が、世の中に常識として持たれているのかもしれない。とすると、バリアフリーの社会なんてとうてい必要ないし、決して実現することもないだろう。私は、常日頃回りの人にお世話になっても、決してそれに依存しないことを心がけてきた。これからも、遠慮して小さくなって、びくびくと生きて行くつもりはない。

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