お相撲さんの食事で有名なちゃんこ鍋は、いつ誰が考えたのでしょうか。
ちゃんことは、お相撲さんの作る料理を全てちゃんこと言います。
その中の鍋物を、特にちゃんこ鍋と言うのです。
そして、各部屋によっても味も違いますし、種類も数多くあります。
ですが、これをいつ頃誰が始めたかと言う記録が残っていないのです。
唯一、角界で語られている説によると、第19代横綱の常陸山(ひたちやま)の影響ではないかと言われています。
常陸山は、1874年(明治7年)生まれの人で、明治の谷風(たにかぜ)とも言われた人で、「常陸の前に常陸なし、常陸の後に常陸なし」と、このように言われて、力士の鏡と称されたお相撲さんです。
幕内の通算成績が、150勝15敗と言う勝率が9割をこす成績だったのです。
その上、人の面倒見も良くそのため、常陸山のいる出羽の海、部屋には、入門希望者が後を絶たなかったそうです。
そこで、大勢の弟子の食事を賄うには、何種類もの料理を作るのが大変になり、大きな鍋に材料を全部ぶち込んで食べると言う事を考えたのではないかと言われています。
常陸山の話は、まだあります。
現役の時、欧米を視察し、引退後37人のお相撲さんを連れて、アメリカ巡業を行なって大成功を治めた話や、1917年(大正6年)に、国技館が火災で全焼した後、2年がかりで再建できたのも、この常陸山が方々を駆けづり周り、財政面の援助を各方面から取りつけたおかげとも言われています。
そこで、相撲の歴史を語る上で、絶対外せない一人なのです。