いつの時代から餅つきが始まったのかは分かりませんが、奈良時代には、伊勢神宮などに鏡餅が備えられていたそうです。
鏡餅は、神様と人間を仲介するもので、穀物の持つ霊魂を人がついて形にし、それを神様に捧げます。
そして、神様の前から降ろしてきた鏡餅をみんなで分け合って食べることで、神様から祝福を受けようと言う考え方だったのではないかと思います。
1年の幸せを祈るお正月はもちろん、けじめの時ごとにお餅をついては神様に備えるようになりました。
餅つきは、江戸時代には武家の年中行事になり、やがて、商家へ伝わり、農家へと広まって行きます。
特に、農家では神仏だけでなく、農具にも餅を供えて、豊作と家内安全を祈りました。
田植えが終わったとき、また、刈り入れの後、さらに、秋の農作業を終えた後にも餅をつき、近所の人に配っていたと言われています。
餅をつくことで、家族の団欒を高めたり、村の協調を計っていたのでしょう。
ところで、江戸市中の商家では、現在と同様に歳末は慌ただしかったようで、農家のように自分の家で餅をつく暇がありませんでした。
そこで、餅つきの業者に頼んでいたようなのです。
コの業者は、多くは米屋で、年末のアルバイトとして、餅つきを請け負っていました。
注文が入ると、店の前の往来に釜や臼、きねを持ち出して、威勢良くついて見せます。
それによって、更なる注文を呼び込もうという狙いがあったようです。
また、2人1組で、注文のあった商家の店先まで臼ときねを運んで行き、イベント的にお餅をつくこともあったそうです。
実際に餅つきをした人なら分かると思いますが、上手くつくにはコツがいります。
最初のこね方や、水を打つ加減など、また、つき足りないと粒の残った餅になってしまいますし、つき過ぎると腰のない餅になると言った具合です。
慣れないことは専門家に頼むのが1番といった考えから、こうした業者のニーズが生まれ、そこから、餅は餅屋にと言う言葉ができたのではないかと思います。
そして、9のつく日には餅をついてはいけないことになっています。
それは、苦しみや苦労の苦につながるからだそうです。