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箱根駅伝


 現在のように、完全テレビ中継が行われるようになったのは、1987年昭和62年からです。
ラジオの中継も含めると、その実況に携わったアナウンサーの方も相当の年代になっています。
現在では、全日本選抜大学が加えられ20校に増えていますし、新しく最優秀選手賞も作られました。
そして、受賞者にはかなぐりしぞう賞が贈られることになっています。

 かなぐり四三(しぞう)さんは、マラソンの父と呼ばれ、箱根駅伝の父でもあります。
かなぐりさんは、箱根駅伝のアイディアを出した人でもありますが、もともとは、アメリカ横断リレーをやろうとしたのが、箱根駅伝の発端です。
そのアメリカ横断リレーをするための予選会として行われたのが、箱根駅伝だったのです。

 実は、その前に東海道駅伝徒歩競走と言うのが行われているのですが、アメリカ横断リレーをするには、ロッキー山脈を越えなければならないことから、山がある所でなければいけないと言うことで箱根が選ばれ、そして、その予選会として箱根駅伝が行われました。
この箱根駅伝は、大正9年2月に第1回が4校で始まり、第2次世界大戦の時は中断されていましたが、昭和22年に復活しました。
そして、1955年昭和30年の今日、第31回東京箱根往復大学駅伝が行われましたが、この大会からルールが変わり、1月2日が往路、3日が復路と言う駅伝になりました。

 箱根駅伝は、往路は107.2キロですが、これを5区に分けて走ります。
1区は21.3キロ、華の2区は23キロです。
そして3区は21.3きろ、4区は20.7キロ、最後の小田原から箱根までの20.7キロです。



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